こんな映画を見に来る者はないだろうとギリギリに行くと満員だった。1回目の『明治天皇と日露大戦争』からの多くの客が残ったのだろうと思うが。
大蔵映画の王冠のタイトルから始まり、脚本・総監督はもちろん大蔵貢だが、その次に監督の名が、渡辺邦男から小森白までずらっと並んでいる。
話は明治天皇の誕生から45年の死にいたるまでの物語で、3時間の大作。
ただ、言うまでもなく『明治天皇と日露大戦争』『天皇・皇后と日清戦争』『明治大帝と乃木将軍』からの再編集がほとんどで、新たに撮ったのは多分、冒頭の西郷隆盛に関する部分だろうと思う。この西郷役は誰かと思うと、異常に太った岡譲二だったのには驚く。この人は、名前のように、戦前はジョージ・ラフトばりの松竹の二枚目だったのだが。
日清、日露の戦争の部分を見ていて、「この時代は歌(音楽)が歴史を伝えていたんだな」と思う。
テレビ等のない時代、軍歌や詩吟等が、戦争のエピソードを説明していた。
日清戦争の時代では映画はなく、絵や芝居が戦争を語った。自由民権運動を宣伝する壮士芝居をやっていた川上音二郎は、日清戦争を題材に劇化して大ヒットになり、これが新派のもとになる。ここでは、「ここはお国の何百里・・・」の『露営の歌』、「死んでも木口小平は、ラッパを離しませんでした」の軍歌。
日露戦争は、世界的に注目の大事件だったので、各国からカメラマンが来てニュース映像化し、日本でも上映されたが、大人気だったようだ。
ここでも「杉野はいずこ・・・」などの軍歌になる。
これを見ると、軍歌に合わせて、この映画を作っているようにも思えた。
日露戦争の苦闘の最中、参謀本部長らは辞職を申し出るが、天皇は言う、
「天皇に辞職はないぞ」
大蔵貢にも、今上天皇の退位は、想像外のことだったわけだ。
最後、乃木将軍が、明治天皇の死に準じて死ぬが、彼の妻は誰かと思い調べると俳優座の村瀬幸子だった。
この映画、1964年なので、一体どこで上映されたのかと思うが、大蔵は自社の系列館を多数持っていたので、そこで上映したのだろう。だが、ピンク映画の上映館で、いきなり明治大帝と言われても観客は戸惑ったに違いない。
長瀬記念ホール OZU