港北にある綱島温泉の由来等を記した石碑が、鶴見川付近の敷地に移設されたそうだ。
綱島温泉は、昭和初期から大変に繁栄したもので、最盛期は1950年代だろうか、大藪春彦の小説にもよく出てきた。また、ここの東京温泉では、大歌手・三橋美智也が働いていたことでも有名である。
私が市役所に入った1970年代はまだ旅館はあり、地方から来る議員や職員を綱島の旅館に案内したこともある。近年では、東京温泉くらいしか往時を留める施設はなくなってしまったようだ。
この横浜の北部や東京の南部には温泉があり、元は多摩川の河川敷の遺物等からなる成分だそうで、それが何万年かを経て温泉水として湧出するものらしい。
また、この石碑を作り、そもそも綱島温泉を推進したのは、飯田家の方だそうだ。
飯田家は、横浜の港北の名家の一つで、市会、県会で何人もの議長を出している。
温泉も、儲けのためだと言えばそれまでだが、それ以上に昔の名家の方たちは、地域の振興に働こうという意思と使命感があったとあらためて思うのだ。