今上天皇の退位も近づいてきたが、天皇陛下が「平和への強い思い」を持ちつづけて来られたのは、1945年11月に那須の御用邸から戻られた時に見た東京の惨状だったようだ。
東京新聞での、保坂正康氏と半藤一利氏との対談で、半藤さんが言われている。
戦争の敗北での惨状は、まことにひどいもので、それは東京大空襲を経験された半藤さんが何度も言われている。天皇陛下も、疎開していた那須から東京に戻られたとき、破壊盡された東京の姿が、現在に至る平和への強い思いにつながったのだろうと言われている。
そして、ここで重要なことは、戦前の日本がそれなりに西欧的な近代社会だったことで、モダン都市としての姿があったことだ。
だが、それは戦争の米軍の大空襲で、何もなくなってしまったのである。
戦前は、不景気な貧しい時代だと思い込んでいる人は多いに違いない。
実際は、そうではなく、1931年の満州事変、翌年の満州国の成立によって、「事変景気」が起きて、日本は世界で最初に恐慌を抜け出したのだ。作家山口瞳の父親も、町工場をやっていたが、この景気で大いに儲けて芸者遊びをするまでになったそうだ。
ナチス・ドイツも、アウトバーンの整備などの公共事業で不景気を脱出し、ドイツ国民のヒトラーへの人気が高まって行く。
1940年には、日本は「東京五輪」と「万国博」をやる予定だったのだから、この辺が戦前の社会が一番西欧的だった時代である。
古川ロッパには『東京オリムピック』という曲もあるくらいだ。
それが、日中戦争の拡大で延期になり、代わりに行われたのが、「紀元2600年祭」という日本回帰への祭りだった。
そして、太平洋戦争で、西欧文化の国アメリカによってモダン都市東京は破壊されるのだから、実に皮肉なものである。