1972年4月に私が横浜市会事務局に入ったとき、すでに廃止されていたが、数年前までは「職直制度」があった。
そのために、事務局地下に風呂場があり、守衛さんは泊まり勤務があったので、当時も風呂場が残されていた。
市会棟と本庁は別なので、本庁の方に風呂があったかは知らない。
さて、その後区役所の衛生課長になったとき、公衆浴場の事務をすることになった。
そのとき、一番驚いたのは、厚生省から出された「行政実例集」が、10センチ以上もあることだった。
その主なものは、「こういう場所に入浴施設を作りたいという要望があるが、これは許可事務に該当するか」だった。
多くは、工場等だが、バスの車庫などもあり、こうしたところも許可を取れという国のご指示だった。
工場や車庫のように、職員以外は利用しないと思われるところでも、許可を取るように指導していたと思う。
たしかに、鉄工所のような暑いところでは、勤務後、風呂に入らざるを得ないと思うが。
そのように、風呂屋は、繁華街や住宅地、工場の周辺等ではなくてはならない施設で、そのために非常に儲かったようだ。
また、風呂屋は、日銭の入る業種であり、横浜では、一時は八千代相銀となっていたが、現在は横浜銀行と経営統合された元の常磐相銀は、風呂屋に特化した「頼母子講」をやっていたとのことだ。
私が子供時代にいた大田区池上の久松湯では、二階の大広間にテレビを置き、力道山等の「プロレス中継」のときは、別料金を取って鑑賞させていたが、横浜の銭湯でも同様だったと聞いた。
今は、横浜では、どこも銭湯は減っているが、一部はスーパー銭湯、健康ランドとして転換されている。
これは、噂では関西方面から来た新業態なのだそうだ。
やはり、関西は凄い。