ねじめの小説『荒地の恋』は、いろいろと考えさせられるものだった。
北村太郎は、荒地派の詩人の一人だったが、同時に朝日新聞の校閲部長、調査部長を勤めた、サラリーマン松村文雄でもあった。
妻と二人の子供に恵まれ、そのままいけば上流サラリーマン、平凡な家庭の父として一生を平安に送っただろう。
だが、51歳の時、中学都立第三商業からの親友で詩人だった田村隆一の四番目の妻田村明子と恋に落ちる。
平和な家庭を捨て、田村明子と川崎で同棲したり、横浜で一人で暮らしたりする。時には、田村隆一、明子、北村の三人で稲村ガ崎で奇妙な同居生活もする。まるで、フランソワ・トリフォーの映画『突然、炎のごとく』のように。
最後は、血液の難病で死んでしまう。
まるで、晩年の自由な生活の報いのように。
普通に考えれば、まるで馬鹿である。
だが、実はこの波乱の生活の中で、北村は旺盛な詩作活動を行い、詩集を20冊近く出している。
また、生活は定期収入がなく大変だったようだが、カルチャーセンターでの講師、ミステリーの翻訳などもしている。
また、晩年には若い看護婦で北村の詩に憧れる女性と恋仲になってもいるなど、果報なこともあったらしい。
総じて言えば、北村は、前半生は、松村文雄として生きたが、後半生は本当の北村太郎として自由で豊か生活と世界を生きたといえるのではないか。
あれも人生、これも人生というべきだろうか。