『おかしな時代』 津野海太郎

津野海太郎の『おかしな時代』(本の雑誌社)を読み、とても面白かった。
1960年代前半から1970年代に至る日本文化史の一面である。
津野が、かつては編集者であり、演出家でもあったなど、今の和光大教授としての彼しか知らない人には驚きだろう。
1970年代中頃、「黒テント・演劇センター68・71」の公演に行くと、タコ入道のような津野の他、サングラスの佐伯隆幸、小柄な田川律らの面々が会場整理をしていたものだ。

津野は、早稲田の学生劇団演劇研究会にいて、友人で早世した演出家草間暉雄の代わりに、1962年に旗揚げした劇団独立劇場の中心になる。
一方で、今はない新日文(新日本文学会)の事務局に就職する。
東中野にあった新日文の事務所には、高校生時代にバック・ナンバーを買いに行ったことがあるが、汚い木賃アパートで、「こんな貧乏世帯なのか」と思った。

新日文がつぶれた後、津野は晶文社に参画し、独立劇場に文学座からの俳優草野大吾、岸田森らの参加を得て六月劇場を創立する。
そこに当初は、蜷川幸雄らも参加する話があったというのは初耳。
その六月劇場の長田弘作、津野演出の『魂へキックオフ』を蜷川が紀伊国屋ホールに見に来た。
そのとき、蜷川が「この程度か」と言う顔をして帰ったというので、津野らの劇の水準が分かる。
後に、単行本で「伝説の公演」を読んだが、つまらない戯曲で、「六月劇場って、こんなレベルだったか」と思った。

だが、晶文社での仕事はすごい。
島尾敏雄作品集に始まり、小林信彦や片岡義男の本は、即ほとんど買って読んでいる。
その後、『日本版ローリング・ストーン』に関わり、『ワンダーランド』、改め『宝島』の創刊など、私が興味を持った雑誌、本の多くが津野や長田弘らが関わっていたものであることを知り、本当に驚いた。
俺は、こいつらの手の上で踊っていたのか。

そして、一方で新日本文学会以来の、政治的な批評性があると共に、今日のサブ・カルチャーの流れを作っている。
それは大きく見れば、新日文のイデオローグであった評論家花田清輝の、文化路線「前衛性と大衆文化」でもあったと改めて思った。

実は、私は高校時代は新日文を購読し、花田清輝も愛読していた。
だが、途中で吉本隆明に取り付かれ、花田はほとんど読まなくなったが、志向性としては私の中に花田清輝はずっと残っていたのだと思った。

津野海太郎の、大学時代の劇団での言動については、彼を知っている方からいろいろ聞いているが、勿論ここには書かない。

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コメント

  1. [演劇][本]津野海太郎の『おかしな時代』―演劇編―

    おかしな時代 作者: 津野海太郎 出版社/メーカー: 本の雑誌社 発売日: 2008/10/02 メディア: 単行本 昨年出た本ですが。読み終えたところ。面白かった。 サブタイトルにあるとおり、演劇と出版に両足のせて60年代前後の東京を歩き回った津野海太郎の回想記なわけだけど、…