ラジオ関東開局50年

1958年の開局から、ラジオ関東が開局50年を迎えたそうだ。
「ラジオ関東など、いったいどこだ」と言われそうだが、今のRFラジオ・ニッポンである。
ラジオ関東は、東京の城南地区や横浜では有名なラジオ局だった。
だが、その設立経緯からいろいろな問題があり組合問題等が起き内紛の末、最後は、読売グループが買収して、今のRFラジオ・ニッポンになった。
この局は、衆議院議員で、建設大臣等を務めた自民党の大物河野一郎の力で出来、社長は遠山景久という、遠山金四郎の末裔を名乗るヤクザまがいの人間だった。
そして、この局は、横浜に一応本社を置きが、「ポート・ジョッキー」など、いかにもみなと横浜を見下ろして放送しているかのごとき番組もあり、しゃれた雰井気で局のイメージを売っていた。
だが、確かに本社は横浜の野毛山に置いていたが、実際の番組の制作、営業は発足当時からすべて東京でやっていた。

1983年に横浜市会の議長秘書になり、歴代の議長・副議長の就任挨拶で各報道機関へ行くとき、野毛山のラジオ関東の「本社屋」にも行った。
だが、そこには誰もいなくて、留守番の守衛がいるだけだった。
要は、放送局免許が、東京ではすでに民放ラジオでも、ラジオ東京(TBS)、文化放送、ニッポン放送とすでに3局あり、そこでは新たには免許を取得できないので、形だけ横浜を拠点にした民間ラジオ局にしたのだろう。
だから、一応本社は横浜の野毛山、放送塔も川崎の多摩川河原にあった。
そのため、東京の城南地区でも、よく聞こえたのである。
だから、私は大学に入るまで、ラジオ関東は、メジャーな放送局だと思っていた。
だが、東京でも西部や北部ではよく聞こえず、他県の連中にあっては、まったく聞いたことがないのにはとても驚いた。
ラジオ関東の悪口ばかり書いたが、その人気番組については、別に書く。

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コメント

  1. カミヤマ ケン より:

    ラジオ関東 ポートジョッキー
    2009年12月23日のブログでラジオ関東に触れていらっしゃいますが,放送時刻 テーマ音楽, タジマケン さんの英語などについてのブログはございますか。
    録音をさがしています。

  2. ケン・田島には
    ラジオ関東の番組はよく聞いていて好きでした。

    ただし、ケン・田島については、個人的には余り良い感情を持っていません。
    ある施設に関し、彼が横浜市にかなり強引な要望をしていたことを見ていたからです。
    彼は、○○一郎という日本人で(イギリスに育ちですが)、完璧な日本語で要求していました。

  3. H. KISHI より:

    ポートジョッキーショー
    ラジオ関東は毎日聞いていました。ラジオ関東JORLから毎晩11時に流れていたポートジョッキーショーで、横浜港からの船の汽笛をイメージした汽笛から、「浪路遥かに」の軽やかな音楽が始まり、アナウンサーのケン・田島氏が流暢なブリテシュ英語で次のようにアナウンスしてスタートしていたのを覚えています。

    “You’v been listning to the port jokey show presented by Morinaga and comming to you from Radio Kannto Station JORF in Yokohama Japan.”

    当時、私はブリティッシュ英語に興味があり、確かSONYのオープン・リールテープレコダーに録音した記憶がありますが、現在、テープはどこかにいったかわかりません。

    ケン田島氏は、イギリス留学をされ、巷では米語が主流の盛んな時代に日本人でありながらクイーンズ英語を流暢に使い、JORFでディスク・ジョッキーをされていました。毎夜、大変興味深く聞き入っていました。

     

  4. さとうのりこ より:

    むかしになりますが・・・
    遠い遠い昔の、大学受験勉強をしていたころ、旺文社の受験講座が終わると、すぐに「波路はるかに」が聞こえてきて、Ken Tajimaのディスクジョッキーがはじまり・・・・毎晩、聴いていました。

    アナウンスの言葉は思い出せるようで思い出せなかったのですが、ここに書き込まれていて、なんだかとてもうれしく、若返ったような気分です。

    田島さんが通訳だったことも、今回、ここで初めて知りました。