高岡の万葉線

先月、スキヤキの後に、月曜日に高岡市に出て、時間は十分にあったので、駅を降りて路面電車の万葉線に乗る。

路面電車だが、LRT風で低床式の車両だが、架線を使っている。

ここも藤子不二雄先生で、どらえもんやどらみちゃんがある。

JRの氷見線の同様に駅から市内を北上し、伏木港に向かうと、すぐに臨港地帯に入り、やや殺風景な大工場ばかりになる。

横浜で言えば、鶴見の工場地帯、あるいは川崎の海側のような町だが、結構古い住宅も挟まれて存在している。

日本中どこに行ってもあるのが、コンビニとパチンコ屋とファーストフードだが、先週までの城端線沿線にはほとんど見かけなかったが、高岡にはある。

俗にフランチャイズ店は、人口が10万を超えないと成立しないと言われているが、高岡市は、人口17万人なので、コンビニ、パチンコ屋もあるのだろう。

だが、城を中心として栄えている高岡は、古い日本の都市のようであり、なかなか良いところだなと感じた。

伏木港に入ると、故事来歴の看板がある。

それによれば、『万葉集』の歌人・大伴家持がここに赴任していて、宴を催した等のことが書かれている。

『万葉集』とは驚くが、鶴見や川崎とは歴史が違うのだね。

確かに、富山は、京都の外港としての位置にもあったのだと気づく。

加賀の山、あるいは北国街道を行けば、すぐに京都に出られる。

帆船海王丸が係留されていて、少し見え子供連れの親子は降りて見に行くが、横浜で日本丸を見慣れているので、私は降りない。

横浜市港湾局に行った時、隣の係りが担当していたのが、帆船日本丸の横浜への誘致で、私も手伝ったが、担当職員は、鯉淵信也君である。

今、こども青少年局長としてご活躍中の鯉淵君である。

この時、日本丸誘致には、富山県も名乗りを上げていたが、今回初めて伏木港に来て、

「最初から横浜の勝ちだったな」と感じた。

と言うのも、『万葉集』以来の歴史はあるとしても、閑散としてほとんど人のいない伏木港と、賑わいの横浜港では、勝負にならない。

なぜなら、所有者の運輸省航海訓練所としては、地方に払い下げた後に、人が来なくては話にならないはずで、横浜の勝ちだったわけだ。

その後も富山県の熱心な運動によって、帆船海王丸は、伏木港に来ることになったのは、まことに喜ばしいことだ。

高岡から北陸本線で金沢に行き、駅に一度出た後、特急に乗る。

金沢は、行きたいところ、見たいところもいろいろあるが、それはこの次にする。

北陸本線をずっと下って米原まで。途中、余呉湖がちらっと見える。

どこかの映画の舞台になった湖だが、レストハウスがあり、

「俗化しているな」と思うのは、旅人の勝手な感想に過ぎない。

米原から新幹線に乗り、名古屋で停車すると若い女性が隣に乗ってくる。

高そうな弁当を出して食べ始めるが、その前に携帯で写真を撮っている。

フェイスブックに載せるのだろうが、たかが駅弁ではないか、そこまで載せなくても良いではないかと思う。

指の爪に特殊なメイクをした芸能人志望のような子で、東京まで行ったようなので、願いは叶えられるだろうか少々気になった。

ご苦労さま。

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