録画しておいたオバマ大統領の就任式を見る。
感じたことは二つある。
権力の継承を絵にして見せていること。
もう一つは、今回初めて黒人大統領が出たが、考えれば1950年代のロックン・ロールの流行で、「黒人文化」をアメリカ全体がすでに受け入れていたのだ。
言わば「下半身的」には、50年前に黒人を受け入れていた。
そして、今回それが表に現れたということだろう。
現存の歴代大統領、ジミー・カーター、ジェフ・ブッシュ、クリントン、そして、ジョージ・ブッシュと出てきて、互いに祝福しあう。
両院議長、両党幹部、副大統領が出て、最後にバラク・オバマが出てくる。
まさに「大統領!」と声を掛けたくなる見事な演出で、権力が新しい大統領に移ったことを絵にして見せている。
前回のブッシュの就任式も見たが、これほど入念な演出ではなかったと思う。
だが、こうでもしないと、多種、多様な人間がいるアメリカでは、大統領選の結果を理解できない人もいるからに違いない。
実は、オバマの前にアレサ・フランクリンが歌った。
「アメリカの財産」とABCテレビは言っていた。
アメリカのポピュラー音楽、ダンス等の芸能において、黒人文化が大きな役割を演じてきたことは誰も否定できない。
それは、1950年代に、チャック・ベリー、レイ・チャールスの曲がヒットし、プレスリーとバディ・ホリーの二人の白人がほとんど黒人音楽との融合を見せたことで一層加速させた。
そして、「ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・ツモロウ」のシュレルス、「ビー・マイ・ベイビー」のロネッツ等の黒人ガール・グループの歌の歌詞によってさらに性的な意味を明確にされた。
ビートルズの「侵略」で一時、アメリカの黒人音楽は停滞したが、流れとしては一環してアメリカ文化を席巻してきたのだ。
その中での、今回のオバマ大統領の出現である。
アメリカ社会のある意味の「偉大さ」、進歩への一貫した歩みは、やはり凄いと言わざるを得ない。
それに比べ、小泉純一郎以下、一貫して世襲者が最高権力者になる日本は、「アジア的停滞」の国と言うべきなのだろうか。