10月5日の東京新聞の夕刊に、1972年に沖縄の米からの返還に際して、日本が気象観測所を作ろうと計画した。
これに対して、アメリカは、中国や台湾の反対に配慮して、この日本の計画に難色を示した。
その結果、日本は観測所建設計画をやめた。
その代わり、返還協定の付属文書での合意議事録で返還区域を示し、尖閣が日本であることを認めた。
これは、日米の外務担当者、担当大臣の間で秘密裏に行われたことのようだ。
こうした重要事項が秘密裏に行われたことは問題があるとしても、日本の外務省も当然だが、するべきことはきちんとしていたのである。
石原慎太郎が大騒ぎして、日中関係のすべてをぶち壊してしまった尖閣問題でも外務省もするべきことはしていたのである。
彼が、日頃言っている「日本の官僚は腑抜けでなにもしていない」ということではないことがよくわかった。