アジアに大統領制はなじまない

韓国の前大統領ノ・ムヒョンが自殺した。
歴代の韓国の大統領は、「畳の上では死ね」ず大統領を辞めると、大抵は逮捕されたり、追放されたりしてしまう。
それはなぜか。
民主主義が根付いてない、と言えばそれまでだが。
私は、「大統領制がアジアには向いていないからだ」と思う。
アジアの政治は、基本的に協調主義であり、集団的共同主義である。
日本で言えば、村落の運営方法は、対立の回避であり、「長いものには巻かれろ」の協調主義である。
前近代的と言えばそれまでだが、稲作等を中心としたアジアの農業社会では、仕方ないことである。
経済学者ウィツトーフォーゲルの「アジア的共同体」説を待つまでもなく、大規模農耕水利工事が権力者の仕事だった、アジア的農業社会では、中国の皇帝のような大権力者が生まれる。
同時に、それを支えるものとして、協調的共同主義が幅を利かせようになる。
そこでは、対立より協調が重んじられる。
大規模工事や集団的作業の多い水田農耕では、村を上げての作業が必要になり、個人的行動は忌避され、下からの協調が自然に生まれる。

大統領制とは、権力者に大きな権力を与え、強力な政治を行う制度である。
アメリカのように多民族、多人種で、差異性の多い国には適した制度である。
だが、大統領制が、強力な権力を与えているのは、その裏に強力な反対集団の存在が前提になっており、リコール等の手段ができるようになっている。
だが、歴史が長く、アメリカやラテンアメリカのように多様な民族、人種、言語のないアジアでは、大統領制で無理やり統合しなくてはないないような差異性は少ないと思う。アジアでは、インドネシアが大統領制だが、インドネシアは他民族、多言語、多宗教の国である。

日本では、地方自治法が大統領制で、都道府県知事、市町村長は大統領であり、大変強力な権力を持っている。昔、横浜の飛鳥田一雄市長は、全国革新市長の星で、何でもできたが、社会党委員長となり、衆議院議員となったら、ただの人で、何もできずに終わった。国会議員と首長では、天国と地獄くらいの差があるのだ。
だから、日本ではつい最近、千葉市長が収賄で逮捕されたように、多選首長は腐敗する例がきわめて多い。
東京都知事の石原慎太郎も1期目は、それほどでもなかったが、2期、3期となるに従い、次第に大変ひどくなった。独裁者の驕りと言うほかはない。
横浜の中田宏市長も、1期目は素晴らしかったが、2期目は、どうも評判が良くないようだ。
強力な対立者による批判のないアジア的共同体では、大統領は独裁者になりやすく、腐敗や停滞の元になる。
そのいい例が、韓国であり、「金王朝」の世襲となる北朝鮮の独裁である。

やはり、農村のいつまでも結論の出ない「話し合い」や、日本の国会のように時間のかかる非効率的な議会制民主主義が、アジアに向いた制度だと思う。

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