歌舞伎座で、先代の十七代目中村勘三郎の『俊寛』を見たのは、1982年10月だった。
多分、午後の勤務を休んで見に行ったのだろう、平日昼間の歌舞伎座は、がらがらで、勘三郎は、手を抜いて適当に演じていたが、最後の俊寛の絶望感は胸に迫った。
勘三郎は、「心で演じる役者」だったので、観客が少ないなど、ノレないときには、手抜きしてしまう役者だった。正直で、逆にノレば素晴らしい演技をしたようだ。
それは、現在の十八代目中村勘三郎も似ている。
さて、某大学の学生劇団が『俊寛』をやるというので、もの好きにも見に行く。
美術、衣装、小道具等は、目茶苦茶で出鱈目だが、このいい加減さは楽しく、アバンギャルドと言えなくもない。
俊寛らを迎えにくる舟は、浮き輪をロープでつなげたものだが、歌舞伎の仕掛もよく考えれば作り物にすぎない。
その「デタラメさ」から野田秀樹のように新たな意味を見出し、展開するまでにはなっていないが、今はこれで良い。
ギャグが決まらないのは、きちんと稽古していないからで、ここはもっと稽古を重ねてもらいたい。テレビの『8時だよ、全員集合』でドリフターズがどれだけ猛稽古していたか、思い出すだけで分かるだろう。
筋は、ほぼ原作のとおりに演じられた後、「本当は違う」として、彼らの解釈の筋が展開される。
そこでは、俊寛は、舟に乗って帰り、代わりに平家から遣わされてきた使者の瀬尾が残ることになる。
ここで、描かれているのは、言うまでもなく、「自己犠牲とそれに伴う自己欺瞞」である。
そして、ラストには、ある種の感動があった。
寺山修司、J・A・シーザー風の音楽や琵琶法師の群れが出てくるのには、参ったが。
専門的に言えば、同じ筋を二回たどるのではなく、近松の本当の劇は、ブレヒト的に簡単に説明し、その後に自分たちの解釈をじっくりと展開した方が、すっきりしたと思う。
「いまどきの若者も、裏切りや逆に自己犠牲など自己欺瞞に結構悩んでいるのだな」と思った一夜だった。