1948年12月23日、当時の皇太子の誕生日で、東京裁判の東条英機らが処刑委された日、東京の斎藤家に男の子が生まれ、平(たいら)と名付けられ、その後の斎藤平、さらに未来までの一生を描く劇。ともに1978年生まれの作が古川健で演出は高橋正徳。
主人公・斎藤平が20歳になった1968年の12月、斎藤家に大学の友人の安田と吉江、女学生の多佳子が来る。
当時の東大闘争の最中で、私学の自治会にいた彼らも、東大闘争に参加するか否かを議論し、結局、吉江だけが参加することになる。そして、翌年1月の安田講堂の籠城解除の時、密かに亡くなった文学座の女優がいたのだ。この頃は寒い日で、自宅のアパートでのガス中毒による死だったが、学生運動で日本国中が大騒ぎだったので、ほとんど知らず川口知子の死亡記事も非常に小さかった。
ドラマは、ほぼ20年ごとに推移し、平は多佳子と結婚し、一児・学(まなぶ)の父となっている。彼は父と同じ教員の道を進み、祖父も教員だったので、祖父、親、子の三代教員の家になっている。
高校生の学は、エリート校に入ったが成績が伸びず、不登校となり、父とは口をきかず、母と祖母のみと会話している。40歳の斎藤平と高子は、息子をめぐって対立し、結局、平は、父と同じく家をかえりみず、学校、クラブそして組合活動に熱中している。
その後は、バブル期は証券会社で派手にやっていた安田、印刷工場の平社員として初志を貫いている吉江だったが、バブルが崩壊すると安田は自殺し、吉江は相変わらず子供食堂で活動している。多佳子は、妊娠と学生結婚でできなかった英語を生かし技術翻訳を家でやっている。
20年後の2008年、60歳の平は退職直前で、そこに学が、いきなり女を連れて来て、結婚すると言う。女は、バツイチの女で2人の子持ちで、斎藤家とは違い中流ではないようだ。意外にも平はあっさりと許すが、多佳子は許すことができない。
平は言う「不登校から高校も中退しやっと介護の仕事を見つけた学と結婚してくれる人なら良いじゃないか」と勝手なのだ。
そして、今上天皇は、今年の12月23日に最後の天皇誕生日の日を迎える。学の子の男女二人が斎藤家に来て、平の70歳の誕生を祝い、平と多佳子は、残りの人生に世界中へ旅行に行くことを決める。
そして世界中の国に行った10年後は、斎藤多佳子の葬式。
斎藤平の孫になる男の子は、実は同性と同居していて、彼は言う。
「いろいろあるけれど、良くなっていることもある、同性婚なんて昔は信じられなかったのだから」
この辺が若い作者たちの本音だと思う。私は斎藤平と同年だが、生れが3月なので、学年は違うが、同時代を生きてきた者としては、ひどい違和感はなく、まあよくできていると思う。
ただ、音楽がボブ・ディランだけなのは寂しい。鈴木忠志ではないが、歌謡曲をもっと使った方がリアリティが出たのではないかと思った。
「女の一生」ならぬ、「男の一生」にするにはさらにブラッシュ・アップが必要だろう。
文学座アトリエ