うしろめたさの喪失

先週から、宮崎県東国原知事、さらに橋下大阪府知事、さらにわが中田宏横浜市長らの言動が話題になっている。
政治的評価は、いろいろあるとしても、問題だと思うのは、彼らの言動や態度に人としての「うしろめたさ」がほとんど感じられないことである。

人間も数十年以上生きていれば、どんな善人でも、他人を裏切ったり、傷つけたりすることがあり、それは悔恨として心に残るものである。
そうした想いを抱えて生きているとき、人は、どこか「うしろめたさ」を持つしかない。
それはまた、別の言い方をすれば、羞恥心であり、倫理性である。
太宰治風に言えば、「生きていてすみません」である。

「小泉構造改革」以降、「なんでもいいから勝てば良いい、勝ち組に入れ」という風潮で、こうした心性が強く醸成され、うしろめたさがなくなってきたと思う。
だが、本当に人間として、それで良いのだろうか、と疑問に思う。
うしろめたさ、含羞のない男って魅力がないんじゃありませんこと、女性にとっては。

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コメント

  1. uhgoand より:

    胡乱な話
    全き同感です
    1・2年で知事職を全うしたつもりなのでしよう
    知事にはその程度の 仕事しかないのでしよう
    いつまでもセールスマンでは飽きるのでしよう
    胡乱としか言いようがない