内藤理事、これからも頑張ってください

金曜日の夜、横浜市の研修センターで、環境創造局の理事内藤恒平さんの講演が行われた。
「赤レンガ倉庫・パーク創造記」と題して、彼が長く担当してきた新興埠頭の赤レンガ倉庫の保存・改修、そして利用についてのお話だった。
そして、彼とは港湾局で一緒の時期もあったのだが、初めて聞く話も多かった。
東京の園芸高校を卒業した彼は、民間企業は無理とのことで横浜市に入る。
民間が無理とは、彼は「親父が極道をしていまして」と言っていたが、ヤクザではなく、左翼老舗政党の幹部だったのだ。彼のペンネームは、立場恒平と言うのだが、これもすべての人に平等に立つということなのだ。
そして、彼は高卒で市にいることの限界を感じ、勉強して大根踊り大学に入学し、卒業後、再び横浜市に入る。
公園緑地事務所にいた後、港湾局に来る。
そして、当時税関と運輸省の倉庫だった赤レンガ倉庫の担当になる。
この保存改修を言い出したのは、田村明技監だが、本当にやったのは、間違いなく内藤さんである。
そして、「すべてが初めてで、自分で考えてやってきた」と言う。

当時、企画課係長の佐藤茂美は、移動の日に内藤さんが「資料はどこにあるのですか」と聞くと、「その辺あるから自分で探せば・・・」と言い、
内藤さんが、「私は造園職で、建築は分かりません」と言うと、
課長の緑川さんは、福島弁丸出しで「赤レンガでもなんでも緑地にあるのは、あんたの仕事よ・・・」と言ったそうだ。
それでも、建築職の八幡準係長が来て、彼と一緒に保存・改修計画を作る。
その間、「八幡さんにとても助けられ、彼はとても優秀だ」と盛んに言う。
八幡さんとは、私もパシフィコ横浜で一緒だったが、彼は優秀でそつのない人間だが、嫌味がなく本当に無私な態度で私も大好きだったので、同感である。

実際の工事が始まってからの、様々なイベントの裏話や事件は全く知らなかったので、大変面白かった。
佐藤茂美が、関東学院高校の卒業生で、その人脈で横浜青年会議所との連携義業ができたと言うのも初めて知った。
結局、日本の世の中は、人脈なのだ。
そして、全国のレンガ倉庫を結んだ「赤レンガネットワーク」の活動。
いずれにしても、内藤さんの柔軟で、優しい人柄ゆえのものだろう。
人付き合いの悪い私としては、大いに反省する夜だった。
内藤理事、今後も横浜市のため頑張ってください。

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