反則じゃないの 『海をゆくもの』

先週、パルコ劇場で、アイルランドの劇作家コナー・マクファーソンの『海をゆくもの』を見た。演出は栗山民也。
全体に出来はとても良い。役者の演技は素晴らしい。
だが、筋書きには納得できなかった。
体が不自由になった兄吉田剛太郎の家に、弟平田満が来て、世話をしている。
吉田は、アル中気味だが、クリスマス・イブの夜、友人の浅野和之らを呼ぶ。
と以前は、平田の妻だった女と同棲している大谷亮介まで付いて来る。
さらに、パブで会った紳士で、めちゃくちゃに酔っている小日向文世も来る。
そして、彼らはカード、つまりポーカーを夜を徹して行う。

最後、小日向は一番勝ったて総取りしたと思ったが、メガネを紛失していた浅野がメガネを掛けると浅野・吉田ペアの勝ちで、小日向のボロ負けで終わる。

だが、この過程で小日向は平田に向かい、さんざ彼の犯罪らしき過去や、ここに来るままで働いていた家敷の奥さんとの不倫等を示唆する。
まるで、平田が遺産相続で大金を詐取したように見せる。小日向は、刑事か探偵のように見えた。
だが、それは一切なく、小日向はただの酔っ払いに過ぎないのである。
「ええ、これってずるいんじゃないの!」と思ったのは、多分私だけではあるまい。
こういう反則技が、欧米の演劇で許されるのだろうか。

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