横浜市の元収入役を務め、その後横浜アリーナ副社長等も歴任された足立光生さんが、交通事故で急逝され、新聞にも大きく出ていたが、土曜日に告別式があった。
私は、仕事では全く関係したことはなかった。だが、同じ職場にいたN氏の仲介で、足立さんからお見合いのお世話をしていただいたことがあるので、告別式に行くことにする。
もう、30年前の1979年11月に、北鎌倉でお見合いした。
相手は、県立高校の日本史の先生で、とても真面目な方だった。
どこの大学を出たか忘れたが、研究が「明治時代の未来戦記」という故橋川文三が泣いて喜ぶ分野だった。
だが、結局丁重にお断りすることにした。
金沢区で医者をやっているお家とのことで、そうした上流家庭は、私には相応しくないと思ったのだ。
また、当時人事委員会にいた足立さんとの関係を強めて行けば、昇進・昇任に有利になるだろうという思惑も嫌だったのかもしれない。若気の至りと言う他はない。
森谷司郎の傑作・映画『兄貴の恋人』で、金持ちの娘中山麻里との話を断る加山雄三の心境を気取ったわけではない。
だが、実はお見合いのその日は、広島対近鉄の日本シリーズ第7戦で、例の「江夏の21球」が行われた日だったのだ。
私にとっては、結構好きだった近鉄が初の日本一になれるか否か、の大事な試合だった。
見合いの間、そればかりが気になっていた。
ときどきラジオの中継が聞こえた。
序盤は近鉄がリードしたが、広島に逆転されていた。
夕方、鎌倉駅で別れると、すぐに電機店の店頭に走った。
テレビは丁度、9回表で、江夏の21球は見ることができ、近鉄の日本一は消えた。
その後も、近鉄は一度も日本一になれずに球団は消滅した。
足立さんの告別式は、さすがに多くの会葬者で、しかも70代前後の方が多く、私が一番若い人間だった。
やはり、最後は仲間、同時代の者との付き合いになるものだな、と思った次第。
終了後、横浜から渋谷に向かい、ケラの芝居を見に行く。