全国紙にも出ていたが、来年から今村昌平が作った日本映画学校が映画大学になるそうだ。
戦後に出た映画監督で、今村昌平が最高であることは文句ないだろう。
彼の作品では、多分『復讐するは我にあり』が最高だろうが、そのほかにさまざまな功績がある。
1は、浦山桐郎、長谷川和彦、原一男の3人の監督を育てたこと。
2は、映画学校を始めたこと。
これには二つの意義がある。
勿論、第一は、かつて日本の大手撮影所が持っていたスタッフ養成の仕事を担ってきたこと。
それと同時に、失業映画人に職を与えたことである。
「あの人は最近見ないが、どうしているかな」と思うと、「某専門学校の講師」というのが多い。
それは、良いことであり、技術の経承であるのだから。
コメント
かぶりつき人生
僕は昔若い頃見たきりで覚えてません。
役者達についてもどうようです。
神代さんが亡くなるまで助監督として師事していた映研の後輩の鴨田君なら何か知ってるかもしれませんが、あいにく彼も故郷の四国へ帰ってしまいました。
お役に立たず申し訳ありません。
次に書きます
いきなり何か分からないでしょう。
次の記事に経緯を書きます。