テレビ関係者総白痴化

1950年代の終わり、テレビの急速な普及に、大宅壮一が「一億総白痴化」と言った。
だが、今や実現したのは、テレビを見ている国民ではなく、番組を作っている関係者の総白痴化ではないだろうか。
多分、大宅壮一が批判した1950年代は、映画界からも「電気紙芝居」と言われテレビは大いに馬鹿にされていた。
それに対して、テレビ関係者には、強い反発と新しい良いものを作るプライドがあったと思う。
だが、いつの間にか、日本のテレビ業界からは、そんなものはどこにもなくなってしまったようだ。

ものを知らないと言うことが恥ではなく、ただの無知が、むしろ天然ボケとかボケ・キャラとか言われ、「可愛いい」と評価されるようにまでなってしまった。
三流以下の芸人のトーク、話題の「整いました」に至っては、ただの「お題拝借」ではないか。テレビの笑いには、芸は必要ないのだが、これは恐ろしいことである。
結局は、視聴者がそれを望むからかもしれないが、その最終的な責任は、やはり番組の作り手側にある。

そう言いながらも、私も結構テレビは見ている。
出勤前の早朝は、ワイド・ショー。
なかではフジ・テレビの小倉智昭の「特ダネ」が最も公平で客観的のように思える。

夕方戻ってきて間に合うときは、大相撲中継。
そして夜は勿論プロ野球中継である。地上波はないので、BSで。
今シーズンは、阪神タイガースが、監督は最低だが、なぜか成績が良いので、つい見てしまう。
テレビ中継がないときは、ラジオの朝日放送でタイガース戦の中継を聞くことさえある。
夜は、首都圏でも関西の中波放送も聞こえるのだ。

今、テレビで気に入っているのは、BSフジの平日夜8時から放送している「プライム・ニュース」である。司会の反町が公平で、鋭く質問するのが良い。
結局、テレビは中継とニュースと映画しかないのではないか。
NHKの特集プログラムを除いては。

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