谷崎潤一郎の名作のテレビドラマ化で、1983年の市川崑作品以来久しぶりの映像化で、時代を平成時代にしている。
実は、この原作は3回映画化されているが、時代設定をほぼ原作通りにしたのは、市川崑監督作品だけで、1950年の新東宝、1959年の大映も、その時代のものにしている。
一番原作と違っているのは、1950年の阿部豊監督作品で、4姉妹は、花井蘭子、轟夕起子、山根寿子、高峰秀子。
驚くのは、主人公は3女の山根ではなく、4女の高峰秀子で、奥畑啓三(田中春男)と駆け落ち騒動などを起こす。だが、最後奥畑家の使用人だったが、渡米して写真術を学び、カメラマンとなった堀雄二と結婚することが示唆される。板倉は、原作のようには中耳炎で死なないのだ。つまり、当時の民主主義時代での自立する女性の象徴としての4女高峰秀子の姿が肯定されている。
監督の阿部豊は、戦時中は戦争肯定派だったが、もともとはハリウッドで映画術を学んだ人で、日本の監督で初めて自家用車を持ったと言われており、日本的ではない自立して生きていく女性の生き方を肯定していたのだと思える。
次の映画化は、1959年の大映で、監督は島耕二、脚本は前回と同じ八住俊雄。
4姉妹は、前回の次女から昇格した長女の轟夕起子、次女京マチ子で、三女は、日本一の美女山本富士子で、彼女のお見合い話が、原作通りになっている。
4女は、本当は若尾文子だったらしいが、風邪とのことで叶順子になっているが、若尾としては、山本富士子主演作に出るのは嫌だったのだろう。
これも実は、原作と違っていて、山本の雪子は、お見合いを繰り返すが、結局誰とも結婚しない。理由は、叶が、やはり男と問題をさんざ起こしているからで、雪子は言う、
「そんなこいさんのことで断られるなら、そんな人と一緒にならなくていいわ」
だが、この1959年作品で、雪子が結婚しない理由は、別にあった。それは何か。
これも時代設定が公開時の1959年にされていて、冒頭では分家の子供たちがフラフープをしている。
この年の前年には、当時の皇太子様(現天皇陛下)が正田美智子さんとご婚約されていたのだ。つまり、戦後の日本が最も民主主義的だった時代なので、原作の「元華族の子息と結ばれて幸福になる」という筋は、さすがの愛国者・永田雅一率いる大映でも映画化できなかったのだと推測する。
これに対して1983年の市川崑作品では、時代をほぼ原作の昭和10年代にして、原作の華麗で美しい世界が次第に消滅していく過程をきちんと描いている。
ここでの4姉妹は、岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子で、もちろん吉永小百合が主人公である。
監督は、吉永小百合に、嫌みなほどの古風で日本的な女性を演じさせている。
そして、市川作品が原作になくて新たに付け加えているのは、次女佐久間良子の婿の石坂浩二が、密かに吉永小百合が好きで、雪子が嫁に行くのを望んでいないとしていることだ。だから、この映画は、吉永と石坂、そして佐久間の三角関係のドラマと見えることろがさすがに市川崑だと言える。
さて今回の4姉妹は、中山美穂、高岡早紀、伊藤歩、中村ゆりである。
脚本は蓬莱竜太、監督源孝志で、うまく平成に置き換えていた。
筋書きは、ほとんど原作通りだが、冒頭で蒔岡グループの総師長塚京三が、経営破綻の記者会見をするところから始まり、平成のバブル崩壊を見せる。
そして筋は、雪子のお見合いの連続で、1話では外資系企業の男、2話では大学でマグロの研究をしている男、3話では製薬会社専務、4話では、元子爵家の次男だが、広告代理店社員でかなり奇態な男。
この中では、松尾スズキが演じたマグロ研究者が一番面白く、亡くなった妻が忘れられないことを察した雪子との破談が一番良い挿話だった。
妙子は、やはり金持ちのボンボンの奥畑啓三と別れ、写真家の板倉と一緒になろうとするが、板倉は交通事故で死に、妙子はバーテンの三好と性交し子を孕むが死産に終わる。
雪子が結婚するのは、原作に近い元子爵家の男で、ここは原作を尊重している。
今回のテレビ版で出てこなかったのは、奥畑啓三の婆や役の浦辺粂子だった。
彼女は1作と2作目に出てきて、啓ぼんが、妙子のために店の貴金属や金を持ち出していて、何とか妙子と一緒になってくれと懇願するシーンは大いに笑えたものだが、平成時代に家付きの婆やは存在しないだろう。
実は、原作では長女鶴子は、影の薄い存在なのだが、鶴子が重みをなし、この話が4姉妹物語とみなされるようになったのは1950年の映画版からなのである。
理由は、鶴子役の花井蘭子が、当時の新東宝ではトップ女優の一人だったことによる。
花井蘭子は、今では誰も知らない女優(私は美人女優なので好き)だが、東宝争議の時、反ストライキ派が作った「10人の旗の会」では、長谷川一夫、黒川弥太郎、入江たか子、藤田進、山田五十鈴、原節子、山根寿子、高峰秀子、大河内伝次郎らと一緒に入っているほどなのだから。
名作は、なんどでも再生されることの証拠だろうと思う。
NHKBS