昔、テレビで深作欣二と『仁義なき戦い』の特集をやっていたとき、当時東映の社長だった岡田茂が言っていた。
「映画と言うものは、企画会議でみんなが『はい結構です』と賛成するようなものは駄目で絶対に当らない。そんなものより、みんなが大反対で、でも一人の監督や役者が、『絶対にこれをやりたいんだ!』と頑張るようなものこそが当るんだ」『仁義なき戦い』もそんなものだったそうだ。
確かに、芸術作品やイベントの企画といったものは、その核に誰かの強い思い入れがないと成立しないものだ。
なぜなら、それは無から有を作り出す作業で、しかもそれは本来世の中の役に立たない、あってもなくてもどうでも良いものだからだ。
今横浜では、昨年行われた「開国博Y150」の赤字補填が問題となっている。
そこには、私の知り合いが沢山いるので、言いにくいのだが、どこにもそうした強い思い入れを持った人間がいなくて、そこに最大の問題があったのだと思う。
本来、一番思い入れがあったはずは、前市長中田宏氏だが、彼に本当に思い入れや信念があったのだろうか私は疑問に思う。
本当に、いまどき博覧会イベントに多数の人が集まると考えていたのだろうか、是非お聞きしたいところである。
「横浜博覧会YES89」を横浜でもやったのは、すでに20年以上前の1989年であり、その頃すでに私は、「博覧会で人様にわざわざ見せる展示物はない」と思っていたが、今は全くそうである。
博覧会とは、本来「展示物」を見せるものである。だが、いまどき、日本人に見せて驚き、喜ぶような展示物があるだろうか。
新規なもの、世界の知らない物を見せるのが博覧会であることは、パリやロンドンの19世紀末の博覧会を考えればすぐに分かることだ。
そこではインドネシアのガムラン音楽が紹介されて、ドビッシーやエリック・サティーに影響し、アフリカの原始美術はピカソの作品のヒントとなるなど、20世紀の西欧の文化芸術に多大な貢献をした。
そうした本来博覧会が持っていた、文化や文明の紹介機能は、今やラジオ、映画、テレビ、さらにインターネットの普及によってほとんど無意味化しているはずだ。
こしたときに、博覧会をやる意義をどこに見出すべきだったのか、残念ながら、横浜市役所にそうした意識を持った人間はいなかったようだ。
今や、まさしく後の祭りだが。