国立劇場の特別企画として『噺と節劇』の公演が国立小劇場であった。
まずは落語で、三遊亭兼好の『元犬』と桃月庵白酒の『四段目』で、兼好が言うように「のっけから真打」で、二人とも好演。
その後が、待望の節劇。
節劇とは、浪花節による劇で、明治から昭和の初めに全国で人気を得た芸能の一つ。
簡単に言えば、歌舞伎の義太夫の代わりに、浪花節の語りで演じるもの。
私は、下北沢に本多劇場ができたとき、中村とうようさんの企画による九州の大衆演劇の雄片岡長次郎が語り、源姫兄弟劇団の役者が演じるのを見たことがある。
今回は、若手浪曲師国本武春が「復活をしたい」とのことで、行われることになったものだが、なんと武本が病気休演で、玉川奈々福が努めた。
話は、『忠臣蔵』の「「神埼侘証文」で、江戸に下る神埼与五郎が、箱根の茶店で馬方とトラブルに巻き込まれ、侘状を書くというもの。
驚くのは、浪花節の語りに乗せると、演者は皆浪曲師で、プロの役者ではないのに、ただ振りを付けているだけで、サマになっていることである。
江戸時代には、「チンコ芝居」と言うのがあり、これは10代そこそこの子供が演じるもので、義太夫に付け体を動かし首振りをしているだけで芝居になったとのこと。
なぜか分からないが、これこそが日本人と日本語の、民族的な台詞と体の関係と言うべきなのだろう。
ただ、正直に言って、語りの玉川奈々福は、若手女性浪曲師なので、当然声が高く細いので、国本のようなドスの利きがなく、劇の展開に深味は感じられなかった。
仲入の後は、立川志らくの「シネマ落語」、『天国から来たチャンピオン』で、江戸時代の花火師を主人公に変えたもの。
人が死んで他の人間に入替るという話はいくらでもあるが、いつ見てもこれは、精神病理学で言う、入眠幻覚や既視感、所謂デ・ジャブなんだと思う。
とりは、五街道雲助で三遊亭円朝の名作『鰍沢』
話の面白さ、展開の意外さ、人生の深延を覗くような不可思議さはすごい。
最後は、背後の唐紙を開け、雪を降らせ、鳴り物を入れ、その中で主人公は「お材木」で助かる。
終わって、半蔵門まで歩き、渋谷に行く。