この映画の原作の吉原公一郎の『小説日本列島』は、高校生のときに読み、感動したことを憶えている。今、読めばひどいと思うだろうが。
内容は、戦後の下山事件、松川事件をはじめ、杉並のスチューワーデス殺人事件等は、すべて米占領軍、さらにCIAの仕業、謀略とするもので、松本清張の『日本の黒い霧』にも似た「謀略史観」である。
これが問題なのは、「自虐史観」と同じで、一種トンデモ史観であるからだろう。
この映画は、大学に入った頃、多分今村昌平作品と二本立てで高田馬場日活で見たと思う。
当時、日活も製作能力が低下し、一番館ではその穴埋めに旧作の再上映を頻繁に行っていて、それで私たちは、多くの名作を見ることができた。
米軍の調査機関CIDに勤務している宇野重吉は、ある日事故死した米軍中尉の調査を上司から命じられる。
その中尉のオンリーの家に行くと、彼女は宇野が札幌の女学校の英語教師だったときの教え子だった。
宇野は、妻を米兵に暴行されて殺されたので、その犯人を捜すため、米軍に務めたのだ。
だが、犯人らは朝鮮戦争で死んだとのこと。ここも松本清張の『黒地の絵』みたいだ。
宇野は、志を同じにする新聞記者の二谷英明や武藤武章らと調査を進めると、中尉は戦時中に日本軍が使用していたニセ札印刷機の調らべていたことが分かる。
当時、国内でもニセ・ドルが出回っていたのだそうで、先日見た長谷和夫監督の愚作『その口紅が憎い』にもニセ・ドル使いの話が出てきた。
そして、いよいよ芦川いづみの登場になる。
彼女は、その印刷機の技術者の娘で、米軍基地近くの小学校の教師をしている。
芦川のような教師がいたら、生徒の成績は皆向上するだろう。
あるいは、彼女を見ているだけで話を聞かないかもしれないが。
ともかく、こうした反米的、政治的映画に芦川や二谷らが出るのは不思議な気がするが、元々日活は下山事件を題材にした山村聡の『黒い潮』があり、そうしたリアルな文芸路線がむしろ本来で、裕次郎・旭のアクション路線は傍流だったのである。
その性か、芦川、二谷、武藤らは、この図式的映画を嬉々として演じているように見える。
さらに、姫田真佐久のカメラが素晴らしい。多くのシーンがロケーションだと思うが、深い焦点深度でリアルな映像を作り出している。
最後、宇野は、芦川の父親がいるという沖縄に行き、予測どおり父親と共に死に、杉並のスチュワーデス殺人事件の犯人とされた神父も国外に逃亡してしまう。
だが、芦川いづみは、落胆しない。
「父はなぜ死んだのか、ずっと学校で生徒に教えながら考えて行きたいと思います」
彼女が歩く背後には国会議事堂が見える。
さて、2年前の民主党政権発足後の現在、戦後長く続いた自民党政権は終わり、これは一種の「民主主義革命」だとの説もある。
確かに、明治以来の大変革には違いない。
そして、その姿は、どうにも危なっかしく見えるのも事実だろう。
だが、明治維新を見ても、新政権が安定するのには、20年くらいを要したようだ。
私たちも、菅政権の不十分さには大いに不満を持ちつつも、当分は見守りつつ、長い目で見るしかないと思う。
芦川いづみの密かな決意のように。
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