1959年、松竹京都で作られた時代劇で、勿論宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決闘を題材にしている。
武蔵は、この後自殺してしまった森美樹、小次郎は渋い俳優だった北上弥太郎だが、むしろ話の中心は、鳥羽内藤藩の武道指南役の近衛十四郎である。
冒頭、京都の一乗寺下がり松で、吉岡一門に勝った武蔵は伊勢路に向かい、近衛十四郎と知り合う。
剣道好きの藩主は名和宏で、この3人の映画であるが、なかなかよくできている。
監督は時代劇の名匠大曽根辰保
名和宏は、喜劇的な役や、『総長賭博』で代表されるような悪役、さらに鈴木則文映画での好色な人物など、相当に役柄の広い上手い男優である。
名和は、武蔵の技を見たくて、森美樹と近衛十四郎を対決させようとするが、近衛を気遣う武蔵は鳥羽を去る。
ここも、武蔵に勝ちを譲ってくれと来る近衛の妻幾野道子らが面白い。
森美樹は、大根役者で台詞もぶっきらぼうだが、無骨な武蔵の役に合っている。
もちろん、後半は小倉での小次郎と武蔵の決闘をめぐる話になる。
そこに近衛十四郎が来て、小次郎の燕返しを破るため、前日に小次郎と闘い敗れるが、武蔵に極意を教える。
それは、かわすことでも避けることでもなく、高く飛ぶことだと言う。
翌日の決闘の日、近衛の指導のとおり、小次郎の太刀を高く飛んで避けた武蔵は、小次郎に勝つ。
そして、戻ってきた森美樹武蔵の腕の中で近衛十四郎は死んでゆく。
考えて見れば、宮本武蔵は、時代に遅れて来た男で、剣の道を極め強くなったところで、戦国時代から平和になった時代では殺人剣は無意味だった。
武蔵が一生どこにも支えず、また多くの決闘で生涯を過ごしたのは、平和な時代に遅れて出てきた故だろうと思った。
そうした男の悲しさを感じられる映画だった。
この1959年は、松竹では大島渚をはじめ、篠田正浩、さらに吉田喜重、高橋治らのヌーベルバーグが出てくるときだが、多くはこのような劇だったのだ。
チャンネルNECO