1950年の東宝映画『恋しかるらん』を見た。
夜汽車で折原啓子が上京してくる。旭川の自宅に下宿していた検事の竜崎一郎を慕ってのものであることがわかるが。
だが、竜崎には、学生時代に友人鉄一郎と友情と愛情を共にした高杉早苗がいたが、鉄は戦死し、高杉は未亡人になっている。
高杉は、戦後の時代に自立して生きてゆこうと司法試験を受け合格し、弁護士になる。
この高杉と竜崎が一緒にならないのは、婚家の両親の御橋公と三好栄子が大変よい人だからで、これが全く理解できない。
ともかくこの映画は、謙譲の美徳を発揮し、相手を慮っているので、劇が進行せず、終始もたもたノロノロしている。
また、キャバレーに勤めた折原が、ギャングの山村聡に付き纏われ、誤って山村を刺殺し、裁判にかけられると検事が竜崎で、弁護士は高杉になる。
そこで、高杉は、「折原が山村を刺した裏の理由は竜崎にある」と暗に批難する。
まるで『滝の白糸』である。
最後、折原が北海道に戻ることで終わる。
この凡作を取り上げた理由は、撮影が会田吉男だからである。
会田吉男とは、言うまでもなく会田昌江、原節子の兄であり、この作品の3年後、原節子主演の『白魚』の撮影中に事故死している。
この小田原駅構内の事故死は、多くの本に書かれているが、特殊撮影に詳しい人に言わせれば、線路上に45度の角度で鏡を立てて撮影すれば簡単に防げた事故であるそうだ。
自分の目の前で、兄を失った原節子の心中は、察するに余りある。
大島渚に、「女優は結構良い商売なので、普通結婚し、一時引退しても、多くの女性は復帰してくるが、桑野みゆき、芦川いづみ、山口百恵など、絶対に復帰しない女性もいる。彼女たちは、多分自らやりたくて女優をしていたのではなく、経済的など家庭の理由で女優業をやっていたので、結婚後は二度と出てこないのだ」との説がある。
私は、原節子の家がどのような状況だったのか知らないが、恐らく彼女も家を支えるために女優業をやっていたのではないだろうか。
それがなくなった昭和30年代には、引退し二度と出てこないのではないかと思うのである。
桑野みゆき、芦川いづみ、山口百恵、そして原節子と、本当は好きで演じていたのではないらしい女優が、なぜあのように美しく輝いているのだろうか。
実に不思議である。
衛星劇場「蔵出し映画館」
コメント
大衆の残酷さ
同時代に原節子の映画を見た者として、また近年、千葉伸夫著「原節子 伝説の女優」貴田庄「原節子 あるがままに生きて」などを読んだが、家族のためあるいは生活のため女優をやつているなどのことは何もない。
また家族構成をみてもそのような必然性はまつたく感じらず。彼女自身の性格も山村総が撮影エピソードで語つた「普段は、冗談言つたりして、ものの言い方もがらつぱち、それが・・・・・・」のとおり、生活のためなどはまつたく感じられず、また狛江や鎌倉に家を買つたときなども生活や家計が要因とは考えられない。
勝手な推測をすれば、つぎのやうなことではないか。
保阪正康著「自伝の人間学」によれば、山口百恵の自伝「蒼い時」と松田聖子の自分史「聖子」を対比してつぎのやうに論じている。
<やや長いが悪しからず。以下転記する>
「アイドル歌手というのは、現代の若者たちが神にさしだしたいけにえである。―― 略 ――もとよりいけにえ自身にも演技や演出の感情や計算がある。
私は、ある時期いけにえになろう。しかしそのあとはごめんだという強い意思をもつタイプ。私はいけにえでありつづけよう。だつてみんながそうなつてほしいというんだものという無邪気なタイプ。
前者が山口、後者が松田である。前者は大衆の残酷さを知つている。後者はそれを知らない。残酷さとは、エノケンが一人息子を喪つたときに嗚咽しているのを見て、『やあ、エノケンが泣いてやがらあ・・・・・・』という類のものである。――以下略」と
桑野 芦川 原 山口 みんなこれを自覚していたのではないか?
ただ、百恵著「蒼い時」には、母親や家族のため、生活のため歌手をつづけたことがきちんと陳べてある。