フィルム・センターで笠置シズ子主演の『桃の花の木の下で』を見る。
清水宏監督なので、温泉と按摩が出てくるが、これほど中身のない映画も珍しいだろう。
笠置は、水商売を辞めて紙芝居屋をやっていて、町を歌を歌いながら子供を集め、芝居をしようとする。
と、前からその場で仕事をしていた日守新一らに、「ここは私の場所だ」と言われる。
日守は、前は温泉の按摩だったが、「最近は按摩にも女性が出てきたので」辞めて紙芝居屋になったのだ。
ここにも「女の紙芝居屋が出てきた」と嘆く。
笠置には、経済的事情から手放し、北沢彪と花井蘭子に扶養されている子供がいて、そこは一種の「母物」になっているが、あまり感傷性はない。
清水宏は、本質的に無内容な人なので、脚本によって内容が変わってしまうからである。
フィルム・センターを出ると、東京下町の私立図書館・眺花亭の渡辺さんに声を掛けられる。
渡辺さんも、「何もない映画で、温泉とあんまだけ」とのことになり、今では絶対に企画が通らないだろうと話す。
銀座まで歩き、久しぶりに奥村書店に入る。
買いたい本が沢山あるが、堪える。結構安い。古本も値段が下がっているのだろうか、元々演劇や歌舞伎の本は人気がないのだから当然なのだが。
桜木町に戻り、「県立音楽堂新春特別演奏会」で、モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』を聞く。
浜田芳通指揮で、古楽器アンサンブルのアントネッロの演奏とラ・ヴォーチェ・オルフィカの合唱。
5,000円は高いじゃないかと思ったが、合唱は60人以上もあり、アンサンブルも古楽器で10人以上もいるのだ。
そして、音楽は最高だった。
モンテヴェルディは、16世紀後半のイタリアの作曲家で、初期バロック音楽の大作曲家である。
勿論、キリスト教の教会音楽なので、すべて聖書の「詩篇」から取られている。
驚くのは、コーラスにスイング感があることだ。
だが、考えてみれば、これらの曲は庶民に聞かせ、教化するために歌われたので、お上品な音楽ではなく、誰でも感動できる曲になっていたのだろう。
それは、黒人音楽のゴスペルを考えれば、すぐにわかることだ。
音楽監督・指揮の浜田芳通さんの曽祖父は、東京音大の創立者だそうで、前の学長伊福部昭が書いた映画音楽に熊井啓監督の『お吟様』がある。
ここで伊福部さんは、当時のキリシタン音楽を再現されていたのだが、この夜の曲には、良く似た曲調のものがあった。
先日、栄図書館でやった「横浜で交差した音」の「世界篇」の最初に、北中正和さんの選曲でキリシタン音楽をやった。
実は、これはアントネッロのものだった。