ハムレットの見せ場の一つ、ハムレットがオフェーリアに向かって
「尼寺に行け!」と叫ぶと、
ステージの背後の黒幕が開き、こまどり姉妹にライトが当たる。
「この世の中に、幸せがあるならば 」
『幸せになりたい』である。
蜷川幸雄が、劇団青俳の下っ端として、今井正の『純愛物語』以下の映画でセリフもない役で、東映大泉撮影所でうろうろしていた1950年代後半から60年代前半、こまどり姉妹は、大泉撮影所でも3本の主演映画を作っていた。
大スターだったのであり、日活の『渡り鳥シリーズ』にも出ている。
今の若者は、「このレンガのように厚く白粉を塗りたくり、キンキラの着物のオバさんは誰なの」と思うだろう。だが、AKB48のような大スターだったのである。しかも、極めて大衆的な。
蜷川幸雄は、こうしたスターに向けられる「大衆の視線に拮抗できるものを自分たちの芝居は持っているのだろうか」と常に考えて来たはずだ。
1973年年末、新宿アート・シア-での桜社最後の公演『泣かないのか、泣かないのか、この1973年のために』では、劇中で木場克己ら残酷ショーの連中が、手入れの警官に「石井輝男をもっと研究しろよ」と批評されたと嘆くシーンがあった。
残酷ショーとしては、石井輝男映画にも、前衛劇にも変わりはなく、劇としての出来の問題であり、ジャンルに優劣はないというのが、蜷川の立場である。
大衆の恋に掛け「幸せになりたい」という願い、それはハムレットとも、ロミオとも、誰にも等価なのだと言っている。
また、蜷川は、ハムレットが母親ガートルードを難詰する場面でも、こまどり姉妹を、ガラスの床を通して、その姿を見せていた。
これは、こまどり姉妹に母性を象徴させようとしているのだろうか。
私の考えでは、こまどり姉妹のみならず、ほとんどの女性歌手、女優は、母性とは逆だと思う。
あえて言うなら、母性を否定したところにスターは存在すると言える。
かつてのヤクザ映画の女性主人公藤純子や江波杏子を待つまでもなく、彼女たちは母性や家庭を否定した、映画の世界の中の娼婦や巫女だったことで、男と対等に立てたのだから。
最後、フィナーレで再び、こまどり姉妹が、背後に現れた時、不覚にも涙が出た。
「幸せに、幸せになりたいの」
ガラス張りの床下は、学校の教室になっていて、若者が蠢いている。
「歴史を学べよ」という蜷川の若者へのメッセージだろうか。
若手役者からなるさいたまネクスト・シアターの連中は、蜷川幸雄の期待に応えて、一応こまどりに拮抗するドラマは作り出していたと言えるだろう。
ただ、明治の坪内逍遙の翻訳によって以来、無数に演じられていたハムレットやオフェーリア像の中で、新たな今日的な姿を作り出したとまでは言えなかったが。
埼玉芸術劇場
コメント
以前某SNSにて
貴方様に「たまには日本映画も観て下さい」と押し付けられた時に返信にて《洋画派の私でも映画は原節子から入った》と告げた際、貴方様に彼女のことをボロクソ言われた者です。お分かりになりますよね誰だか?
その私から言わせて頂きますね。
私も谷町根性で好き嫌い激しいですが、貴方様も同様ですね。それはそれでかまやしませんが。
蜷川は対して演出家としても才能無いですよ(笑)
役者時代同様、ヘタクソな手法。何を手がけても同じ。変化なし。
何せ日本は贋作の画家に芸術選奨をやるくらい100流国家ですからそういうのしかいないのが現実ですがね。
同じハムレットでもまだ山本圭と佐藤オリエの方が遙かに良い。こればかりは好みですが。
どうぞコレからもご贔屓に。
どなたかわかりませんが
最近、年と共に物忘れがひどくなり、どなたか思い出せません。原節子を以前からひどいとは言っていませんが。
蜷川の演出の評価は、難しいことですが、劇を絵にしてみせる才能はすごいと思います。
今回の『ハムレット』も、役者が現在の若者像を出しているかまでは行っていないと思いますが、こまどりとぶつけた意味はあったと思う。
だったら
どの舞台でも「絵」になってしまうではないですか?
どの舞台でも所詮は絵ですよ。まして彫刻なんかでもなきゃ
特に蜷川なんてね。動きなんてなんもない。それも演劇たるもなのですか?私は動きがあるからこそ舞台演劇だと思いますが。
映画『妻よ薔薇のやうに』で
成瀬巳喜男は、伊藤智子に「人は皆心ごころですから」と言わせているように、人の見方、考え方はは、それぞれ様々です。
それで良いと思っていますので、今後も是非ご意見をよろしくお願いいたします。