左右歌合戦 『たそがれ酒場』

この映画を前に見たのは、今はない大井武蔵野劇場だった。
今回、BSで見て、左翼、右翼、さらにクラシックの歌合戦であることが大変興味深かった。

東京の場末の駅近くにあるらしい大衆酒場、そこには小ステージもあり、店の専属のピアニスト、歌手、さらに女給、客の飛び入り等が次々に歌う。
まず、店が開く前に、ピアニストの指導で男性歌手が、『野薔薇』を堂々と練習している。この二人は、当時現役のクラシックの音楽家だったようだ。

店が開くと常連の小杉勇、多々良純らがやってくるが、その後様々な連中が来て、飲み、食い、騒いで帰る。
当時の世相がよくわかるように作られている。
元軍人の東野英治郎と部下だった加東大介の再会、退職する大学教授らしいのと教え子の一団、丹波哲郎のヤクザ者など。
中盤では、ストリッパーの津島恵子のダンス(と言っても今から見れば実に大人しいもので、これに比べれば今のフィギュア・スケートはまるでヌード・ダンスだ)と、元夫からの刃傷沙汰もある。
また、ピアニストは戦前は、有名な音楽家で、彼を裏切り妻も奪った歌劇団の代表高田稔も偶然に来て、男性歌手の『カルメン』の歌を聞き、歌劇団に誘う。
女給の野添ひとみは、丹波哲郎から手を切ってくれた宇津井健に大阪行きを誘われる。
小杉勇は、戦時中に戦意高揚絵画を描いたことを恥じて、筆を折ってパチンコで生計を立てているが、これは監督の内田吐夢の心情だろう。
内田本人は、戦争協力映画は作っていないが、彼らの世代の気持ちとして、戦争を起こし、敗北したことに大いに責任を感じていて、彼や元従軍記者だった江川宇礼夫らは、「これからは若い人の時代だ」と言わせている。
だが、この頃彼らは、せいぜい50代で、今で見れば到底老人とは言えないのだが。
だが、彼らの反省と羞恥は、実は無意味だった。
なぜなら、この時代からすぐに石原兄弟が主導する「太陽族」の消費社会に日本は入ってしまい、戦争への反省など忘れてしまうのだから。

何よりも、ここで興味深いのは、その店で歌われる歌である。
左翼学生たちは、ぬやまひろしの『若者よ!』のレコードを掛けて皆で斉唱する。
東野英治郎と加東大介は、「万朶の桜」の『歩兵の本領』を歌うと、窓の外からも同曲が聞こえてきて二人は大感激する。
だが、それは「聞け万国の労働者」の『メーデーの歌』であり、これは同じ元歌からできているのだから同じに聞こえるのだが、ここは大いに笑えた。

さて、全体にここで展開される音楽は、軍歌、労働歌、そしてせいぜいドイツ風のクラシック歌曲である。
この辺が、当時の映画人の音楽のレベルだった。
アメリカのジャズ、ポピュラー・ソングは勿論、ドビッシーなどのフランス近代音楽もない。
監督の内田吐夢、さらに言えば『八月の狂詩曲』で時代錯誤の『野バラ』を使った黒澤明の音楽的素養は、大体このレベルだった。
あえて言うなら、小学校唱歌の水準である。
当時、日本の映画監督で最高のミュージック・ラバーと言われた松竹の大庭秀雄で、やっとモーツアルトだったのだから。
日本映画専門チャンネル

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コメント

  1. uhgoand より:

    シンザンとディープインパクト
    音楽のことはよく知らないが
    『野ばら』のことは別にして
    時代のレベルをいまを知る者が過去と比較して上とか下とか低いとか高いと言うのは無意味と思うふが・・・・・・

    全き情景はちがうがシンザンとディープインパクトはどちらが最強馬か――
    シンザンを知らないいま世代はディープと言いシンザンを知るわが世代はいやシンザンだと言う
    がしかしこの場合時代の比較は無意味としている

  2. さすらい日乗  より:

    センスの問題だと思いますが
    『たそがれ酒場』の翌年には、『狂った果実』で武満徹のハワイアン風の音楽が、その遥か前から黛敏郎の新しい音楽も出ていたのですが、内田は、無関心だった。溝口が『赤線地帯』で黛を使ったのに対して。もともと内田に軽さは無縁ですが。

    競馬は、まったく知りませんので、よろしく。

  3. mgdby254 より:

    Unknown
    津島のストリップはまるで子供のお遊戯ですな!
    「肉体女優殺し 五人の犯罪者」の三原葉子を見習うべき。

  4. uhgoand より:

    『なつのひを あーびて・・・』
    さうでしたか センスでしたか 確かにさうですね
    全盛期の映画ファンとしてまた若かりし裕次郎の元ファンとして迂闊でした
    そしてあれはハワイアンだつたのですね失念していました

    当時はラジヲとレコードでいまでもカラオケでいつも歌つていることを度忘れしていました
    『なつのひを あーびて しおかぜに・・・』

  5. さすらい日乗 より:

    あの程度の露出度は
    『七人の侍』で見られるように、津島恵子は、当時清純派の大スターですから、あの程度の露出度は仕方ないでしょう。彼女は、元はダンスの先生で、踊りは下手ではないはずですが。