鳩の街を歩く

眺花堂の渡辺さんからご案内をいただいたので、東向島でやっている古本市・古本日和に行く。
この辺りは、30年くらい前に歩いたことがあり、その頃は、「業平橋駅」の蛍光灯が高架にさびしく光っていたことを思い出す。
それも、東京スカイツリー前に変えられたのは、つい先日のこと。

曳舟駅が、京成線の他、東武線にもあるとは知らず、地図をネットから打ち出し持参し、京成の曳舟駅から間違えないように何ども見直し、やっと東武鉄道の曳舟駅をくぐる。
ここから街並みがガラっと変わり、昔の繁華街になる。
京成電鉄の曳舟駅周辺は、再開発された整然とした、きれいな白っぽく、味気ない街並みであり、東武の曳舟駅周辺とは対照的である。
同じ駅名で、これほど街並みが異なっているところも珍しい。
恐らく、東武の曳舟の方が元々の駅で、京成の方は東向島の発展に伴ってできた駅なのだろうと思うが、実際はどうなのだろうか。
ご存知の方がおられたら是非コメントしてください。

細い道を何度もまがり、小さな公園を抜ける。気がつくのはリサイクル店が多いことで、やはり需要が多いのだろう。
大通りに出て、再び地図を見ていると、洋品店のご主人が日除けの幕を下しに出てきたところで、親切に教えてくれる。
「これは、スパーたじまのところを左に曲がれば良いのですよ」
さすが「下町の人は親切だな」と思い、その角に来ると、なんと鳩の街。

私が名前もいただいている永井荷風先生の「鳩の街」である。
久松静児監督、高峰秀子、森繁久弥、山田五十鈴主演の映画『渡り鳥いつ帰る』の舞台であり、吉行淳之介の小説『原色の街』でもある。
ここは、東京大空襲に奇跡的にあわなかったそうで、戦前の街並みが残されている。
道幅の狭いことがそれで、車は1台がやっと通れるだけ。

ベラボー市が行われていて、フリーマーケットの店が点在している。
その通りのほぼ真ん中の民家で、古本日和が行われていた。
全国から、珍しい本を持つ店が出店していて、都市関係の本が多く、映画の本もあったが、演劇や芸能関係の本はないようなので、買わずに戻る。
この通りを出れば、こえも永井荷風の「玉の井」になるわけだが、少し寒くなってきたので、引き返す。
途中、通りからさらに脇道に折れている箇所が幾つかあり、そこへ入って行く誘惑にかられた。
だが、そこは地域の住民のエリアであり、余所者が立ち入るべき場ではないので、遠慮する。

帰り、金町から浅草行きの都バスを待っていて、時間どおりに来たが、超満員だったので、曳舟まで戻って横浜に帰る。
来る時の都営浅草線も、浅草で多くの人が降りたように、隅田川の花見で大変な人出なのだから。
大岡川沿いの桜も八分咲きで、多くの人でにぎわっていた。
やっと春が来たのだと思う。

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コメント

  1. なご壱 より:

    Unknown
    山田五十鈴ではなく田中絹代でなないでしょうか。

  2. さすらい日乗 より:

    そうでした
    田中絹代と森繁の夫婦でした。
    高峰がちゃっかりした女で、これも意外な感じでしたね。

  3. ampa より:

    向島界隈
    東武線曳舟駅付近を歩いたそうで。小生は曳舟駅下車徒歩5分の都立墨田川高校の出身で、高校の左に鳩の町、右に玉ノ井とマセルのには絶好の環境でしたが、残念。入学一年前に売春禁止法が施行され、どちらも実地体験できませんでした。ちなみに、当時の母校は一応都立のやや名門校で男も女もまじめで周囲の環境に影響されることなく、地味に青春時代を送りました。ただ、曳舟駅から2駅目が浅草なので、夏はワイシャツ、冬はコートで学生服を隠し、浅草六区のストリップ小屋にあちこち行きました。当時の浅草にはストリップ劇場が5、6劇場ぐらいあり、有名なのはフランス座(洋風)、ロック座(和風)カジノ座で、その他、小さい小屋も多かったです。それぞれの小屋にはコメディアンがおり、ストリップの合間にコントをやっていました。小生は「早くコントが終わって、裸のおねいさんを見たい」とイライラしていましたが、このコメディアンの中に、後の渥美清、関敬六などがいたんですね。

  4. さすらい日乗 より:

    素晴らしい環境だったんですね
    浅草のすぐそばとは素晴らしい環境でしたね。
    大学時代にカジノ座には行ったことがありますが、確か映画館の地下にあったと思う。
    私の高校のそばには、月光館という元ストリップ劇場がありましたが、当時は石井輝男など新東宝映画をやっていました。