学生バンドの功績 後進国における文化流入の仕方


NECOで『東京ナイト』をやっていたので見る。
大学生の山内賢、和田浩治、杉山元、木下雅弘らが、エレキバンドをやっていて、大学対抗バンド合戦に勝ち抜くのと、京都から祇園の舞妓の和泉雅子が上京してきて、姉を探す話が絡むもの。
山内らのヤング&フレッシュの「音楽路線」が当たったのか、『青春、ア・ゴーゴー』のモノクロから格上げされてカラーになっている。
内容的にはどういといこともないが、この映画の舞台になっている「大学対抗バンド合戦」は、当時大人気で、TBSラジオで司会大橋巨泉で中継もされていた。
現在でもバンド合戦はあり、瀬川昌久先生のお話だと「最近は、音楽大学のバンドが出てきているので、とても上手くなっていて、逆につまらない」そうである。

また、テレビではほぼ同時期に『勝ち抜きエレキ合戦』が、フジテレビであり、ここには昨年亡くなられた中村とうようさんも、審査員で出ていた。
そこで、一番憶えているのは、とうようさんが出場者の男と口論をしたことである。
そのお兄ちゃんは、ボブ・ディランの曲を歌いかなり上手かったが、とうようさんは「歌詞が違うよ」と批評した。
すると男は、横田基地の米国人に聞いたと反論し、
「そんなことは絶対にない!」ととうようさんは、言い切ったたのである。
こんな素人相手に真面目にケンカするなどおかしい人だなとその時思った。
だが、後に知ったがとうようさんは、本当にそういう方で、私も本気で怒られたことがある。
中村とうようさんは、どのような人にも同じ対応をする真面目な人だったのである。

さて、大学生のバンドは、戦前どころか大正時代からあり、当時のジャズ、タンゴ、ハワイアン等の曲のバックの演奏は多くが大学生のバンドによるものだった。

「後進国では、進んだ西欧の文化は常に上流階級から入る」との定説のごとく、昭和初期でもジャズ等の西欧文化を最初に摂取したのは、上流階級の若者だった。
それはクラシックでも同じで、公爵で3回総理大臣になった近衛文麿の弟近衛秀麿は、日本のオーケストラの創始者の一人である。
皇道派を頂点に、戦前に昭和天皇とその側近を「君側の奸」として、近衛文麿、木戸幸一らを抹殺しようとした連中の考えの底には、こうした西欧文化への拒否感があったと思う。
だが、実際に昭和天皇が、どのような音楽を聞いていたかは知らないが、おそらくクラシックだったと思われる。
以前、戦前の皇族の家での音楽趣味を調査した人の講演を聞いたことがあるが、そこでも聞かれていた音楽は、西欧のクラシックやポピュラーだったそうである。
そうした西欧化の例の一つは、皇太子の雅子様という「国際派」の女性へとの結婚に象徴されていると思う。

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