日曜日から、毎日夜はオリンピックのテレビ中継、特に柔道を見ている。
以前から、柔道は結構面白いと思って来て、2000年のシドニー五輪のときの、「世紀の誤審」と言われた日本の篠原とフランスのドイエ戦については、2000年12月の『ミュージック・マガジン』に書いた。
その趣旨は、日本の柔道は、折口信夫が相撲について書いたように、
「一種の演劇、芝居であり、神と人間との演劇」なので、それは極めて美学的、美しくならねばならないということである。
世界の格闘技で、相撲ほどおかしな規則のスポーツはない。
土俵という範囲から出れば、これはある種の禁忌から出たら負け、また体の一部が土に付いても敗北、これは穢れに触れたら負けと言うのは、ロープに持たれても問題なく、またダウンしても良いボクシングとは全く異なった決まりであり、それは哲学の違いである。
それに対し、近代の西欧のスポーツの、すべてを計測可能な量と時間に換算しようとする、欧米の「ポイント柔道」とは根本的な差異がある。
だが、今回は全体に随分として「一本勝ち」の意義が見直されているように見えた。
それは、大変良い傾向であると思う。
柔道の前半戦では、海老沼匡の韓国選手への判定の逆転など、その是非はともかくとして、こんなに面白い逆転劇は、到底劇作家の思いつくところではない。
また、この旗判定が変化したのは、要は「攻勢点か、クリーンヒットか、どちらを優位に見るか」とのことで、ボクシングでもよく問題になることである。
最初の審判の判定は、韓国選手の手数や攻勢を見たが、逆転した海老沼の勝ちでは、彼のクリーンヒットを評価した結果なのである。
そして、女子の松元薫選手の表情の凄さ、今時日本の女子であんなにすごい表情を見たのは、本当に久しぶりである。
決勝戦のルーマニアの選手は、あの表情の凄さに辟易として結局負けたように思えた。
あの松元選手の思いつめた表情は、黒澤明の戦意高揚映画『一番美しく』の主役で、後に監督の黒澤明と結婚する矢口陽子以来ではないだろうか。
ともかくオリンピックは最高のドラマで、本当に筋書きのないドラマである。