紅白歌合戦を見ていたら、性同一性障害者なる中村中が赤組から出ていた。
増村保造の映画『セックス・チェック第二の性』は、女性だと思ったスプリンター安田道代が実は、両性具身者で、女ではないという悲劇は、公開された1968年にはゲテモノの際物だった。
だが、40年後の今日、天下のNHKの看板番組に本当は男なのに、男になり切れない人間が出てきた歌う。
かくも日本は、性的混合に寛大なのか。
ともかく、この40年間の性的偏見の進化には驚く他はない。
これを監督の増村、あるいは増村の友人で、まさに性同一性障害者の典型だった三島由紀夫が見たら、なんと言うだろうか。
三島は死ぬ必要はなかった。
今もし生きていたら、三島由紀夫はテレビのアイドルだったろう。
コメント
Unknown
さすらい日乗 様
三島由紀夫は性同一性障害者(心の性と体の性が違う人。生まれた時の体は男性でも心は女性の人、または生まれた時の体は女性でも心は男性の人)とは違うと思います。
ボディビルなどで体を鍛えて嬉しそうに自慢していたそうですし、心が女性の人が普通そんなことをするとは思えませんので、たぶん三島さんはゲイかバイでしょう。
真偽の程は不明ですが、美輪明宏に告白して振られたという話もあります。
「LGBT」(レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心の性と体の性が違う人・・・性別越境者。性別移行者。))や「インターセックス」(性分化疾患。体が男性でも女性でもない人。・・・生まれつきの両性具有者など)などの性的少数者がテレビに出ることは、そういった性的少数者がこの世に存在することを世間に知らせることができますし、彼らが堂々とテレビに出ることによって、「性的少数者はテレビに出ても構わない存在」として世間に認められ、性的少数者への偏見、差別、不当な攻撃・暴力防止の効果が期待できると思います。性的多数者(異性愛者)や性的少数者自身が性的少数者のことを理解することにもある程度役立っていると思います。
よって、性的少数派の人達がテレビに出ることは社会的意義もあることだと思います。
性同一性障害者に関しては、戸籍上の性別を変更することが法律で認められるようになりましたし、「MtF」(生物学的性別が男性で、性の自己意識が女性である事例。(エムティーエフ、Male-to-Female))、「FtM」(生物学的性別が女性で、性の自己意識が男性である事例。(エフティーエム、Female-to-Male))の人達に関しては、MtFの人は男性から女性へ戸籍上の性別を変更すれば男性と結婚することが可能になり、FtMの人は女性から男性へ戸籍上の性別を変更すれば女性との結婚が可能になりました。
このことは、性同一性障害者の人達による運動と努力の成果でもあるでしょうが、
日本のテレビに性的少数者が出続けたことで、性的少数者に対する世間の人達の偏見、差別意識を軽減することにテレビが貢献したこともあると思います。
しかし日本の場合は「おねえ」系、MtF以外の性的少数者はテレビにほとんど出てきませんので、それは問題でもあるのでしょうが。
「性的嗜好」(性的な好み、性的な趣味。対象の性別についての方向性に関しては特に「性的指向」と呼び、通常は性的嗜好には含めず分けて扱う。)とは違い、「性的指向」(いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかということ)は本人の意思、努力では変えることのできない性質のものです。
異性愛者の人が同性愛者や両性愛者になることはできないように、同性愛者の人などが異性愛者になることはできません。
そのため、性的少数者が性的指向により差別などをされることのないように彼らの人権を守る必要があると思います。
ご参考までに。
ユーチューブの動画で
「テレビの中の性的マイノリティ」01~11
「メディアと性的マイノリティ」01~17 です。
上記のコメントは
さすらい日乗様が書かれた「日本テレビはオカマバーか」という題名の文章に関してのコメントも兼ねています。
ありがとうございます
ご指摘ありがとうございます。
確かに三島は、子供も二人いて、福島次郎の『剣と寒椿』によれば、彼ともセックスしたとのことで、バイ・セクシュアルでしょう。
最近、岩下尚久が、『ヒタメン』で、あたかも正常だった証明をしようとしていますが、それは無理でしょう。
『セックス・チェック』は、とても面白い作品で、増村保造の中でも上位の映画だと思いますが。