『かぞくのくに』

大変評判の高い作品であり、事実館内はほぼ満員だった。
結論的に言えば、『月はどっちに出ている』『パッチギ』などの「在日映画」の中では、最もすぐれたものだろう。
なぜなら、そうした在日映画が、在日を題材として扱いながら、実は日本社会の批判をしているのに対して、この映画は、北朝鮮を批判の対象としているからである。
さらに言えば、北朝鮮、そして戦前の日本が、あからさまにそうだったような、「何も考えない国民の社会」を本質的に望む国家というものの本質を描いているからである。

これを見てすぐに思い出したのが、1960年に女優の望月優子が東映教育映画で監督した映画『海を渡る友情』だった。
そこでも、東京足立区で飲食店を営む朝鮮人の加藤嘉が、日本人妻水戸光子と共に、北へ帰還することに伴う日本人と朝鮮人の少年の友情が描かれる。
中では、小学校で上映されている北朝鮮のニュース・フィルム(もちろんプロパガンダだが)を見る加藤嘉のシーンがある。
そこでは、北の岸壁で、帰国者たちが大動員の人間によって熱烈歓迎されている。
日本人社会の中で居心地悪く生きている加藤は、帰国を決意する。
北朝鮮への帰還事業が間違いだったことは、今では誰でも知っている。
だが、1960年当時では、それは左翼陣営のみならず、鳩山一郎や吉田茂のような保守陣営でさえも、言わば日本社会の「厄介な分子」を除去できる事業として、大賛成だったのである。
言って見れば、それは戦後西欧諸国が、ユダヤ人を西欧社会からパレスチナに送り出したことにもよく似ている。

25年ぶりに北朝鮮から、兄の井浦新が脳腫瘍手術のための特別の許可を得て、千住に戻ってくる。
時代は、1997年にされているが、これは2001年の小泉訪朝以後、北朝鮮からの一時帰国がほとんどできなくなっているからのようだ。
父親の津嘉山正種は、総連の幹部で、母親の宮崎美子がツタの絡まる喫茶店をやって一家を支えている。
久しぶりの再会やそれぞれに変わった25年間の人生。

だが、病院で手術が不能であることを告げられたときに、いきなり帰国命令が来る。
そこには理由はなく、いつもの通りの突然の組織からの指示。

妹の安藤サクラに対して兄の井浦は言う。
「考えないことにしているので、楽なんだ。
でもお前はよく考えて好きなことをやれ」

安藤サクラには、ルックスが好きになれなかったので、感動できなかったが、映画全体が極めて淡々としている描写はとても良い。
ただ、ほとんどの場面が手持ちカメラで撮られており、不必要に揺れるのが不愉快だった。
役者では、井浦新と津嘉山正種が素晴らしい。
シネマ・ベティ

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