煙突の見える場所とは、東京千住付近で、ここには東電の火力発電所があり、その4本煙突が、場所によって重なり、4、3、2、1と見えることから「お化け煙突」とよばれた。
千住付近は松竹映画お得意の場所で、小津安二郎や渋谷実の作品でもたびたび出てくる。要は、下町の象徴なのだろう。
その墨田川の土手下に住む住民たちの話で、主演は坂本武の乾物問屋に努める上原謙と、妻の田中絹代。彼女は戦前に田中春男と結婚したが、大空襲で別れ別れで行方不明で戸籍を作り直して、上原と再婚したのだ。
家の二階を国税務職員の芥川比呂志と、放送塔でアナウンスをしている高峰秀子に貸している。放送塔というのも今はほとんどなくなったが、都市の街頭に建っていて、そこから商店の宣伝を街頭に向かって放送するものだった。野坂昭如も学生時代にアルバイトでやったと言っていた。
隣の家は、中村是公と三好栄子で、新興宗教をやっていて、早朝から祈りと太鼓の音が聞こえてくる。
上原の家の玄関に赤ん坊が置かれたことからドラマが始まる。
それは、田中春男が再婚した花井蘭子との間にできた子で、だらしのない夫の田中を懲らしめるためにやったことなのだ。
赤ん坊の泣き声で寝られないとする上原、自分の罪のように思い右往左往する田中絹代を見て、芥川は問題を解決するために、田中春男を探しに行き、突き止めるが生活力のない男だった。正義感では事は解決しないと悟る。
最後、医者からも見放されて赤ん坊は死にそうになるが、皆の願い、中村と三好の家では、「平癒祈願のお札」で祈りのかいがあってか、生き返る。
そして、花井蘭子が取り戻しに来て、芥川と高峰は結婚することにする。
ここに出てくるのは、松竹蒲田以来の「庶民」の姿であり、役者もほとんど松竹にいた人たちである。三浦光雄のカメラは非常にコントラストが強く、また薄暮や明け方の撮影もすごく細密である。五所は、松竹にいたが、1940年代にフリーになり、大映では『新雪』をヒットさせ、戦後東宝では、左翼メロドラマの傑作『今ひとたびの』を作った。
そして、東宝争議中には、組合も共産党とも無縁だが、江戸っ子の「弱い者の味方」的心情から組合を応援し、8月のロックアウトでスタジオ退去の時は、スクラムの先頭に立った。
その後、東宝を辞めた人たちと、スタジオ8を作ったが、この時のメンバーに後に日本ATGを組織する井関種雄氏がいるのが注目されるところである。五所は、映画会社に縛られない映画作りを常に目指していたと思うのだ。
音楽は芥川比呂志の弟・芥川也寸志で、ラテンやジャズを使っている。
この前に、1933年の五所平之助の『十九の春』の頃の、五所、伏見信子、小林十九二、高峰秀子らの撮影風景が上映された。戦後、高峰から川喜多財団に寄贈されたものとのことで、撮影所の者が8ミリで撮って高峰に上げたものなのだろう。
推測するに、こうした個人撮影は蒲田では流行っていたのだろうと思う。
だから小津安二郎の『生まれてはみたけれど』のホームムービーのシーンもあったのだと思った。
長瀬記念ホール OZU