『超高層のあけぼの』

霞ヶ関ビルが出来た時、施工業者・鹿島建設の主導で作られた映画で、言ってみれば鹿島建設のPR映画のようなものである。

鹿島は、もともと映画に強い関心を持っていた会社で、鹿島映画という映画会社を持ち、多数の記録映画を作っていた。

ここでは、一応日本技術映画という別会社名で製作し、東映が配給という形になっている。

理由は、佐野周二、三宅邦子、伴淳三郎、田村正和らの松竹、松本幸四郎、新珠三千代の東宝、大映の見明凡太郎、根上淳、内田朝雄ら。

その他、丹波哲郎、平幹二朗、木村功、寺島達夫、小林昭二ら様々な役者をだすためだったと思う、当時は、まだ5社協定があり、抵触しないために。

東大教授中村伸郎は、学生時代(山本豊三)に関東大震災に会い、大地震の中で五重塔が全く無事だったことに大きな衝撃を受ける。

高層ビルは、剛構造ではなく、柔構造ではないと日本のような地震国ではできないことを長年研究し、退官の記念講演でも話す。

そこに鹿島建設社長の佐野周二と副社長の三宅邦子が来て、霞ヶ関に超高層ビルを作りたいと言い、入社を懇願する。

池部良の下、木村功を中心に構造計算、新しい鋼板の形状と組み立て方等の難問を次々と解決して、無事着工に至る。

第一部は、こうした工事の技術的裏話で、ドラマがないので少々退屈。

第二部になると、山形から出稼ぎに来ている伴淳三郎の活躍、クレーン・オペレーターの田村正和の恋などがあり、劇らしくなる。

田村が恋人の漁村の故郷の父母に会うシーンがあり、父親が瀬良明で、ひよっとこ顔のこの人は東宝の脇役で、一度見たら絶対に忘れない顔である。

こういう人が出ているところが良く、さらに伴淳の妻が利根はる江であるのも嬉しい。

全体に悪くない出来であり、1960年代末の関川秀雄監督の東映での梅宮辰夫主演のアクション映画や松竹での『いれずみ無残』等よりはるかに良い。

彼は、戦後、組合映画と言われ、山本嘉次郎、黒澤明との3人で監督し、黒澤が自作リストに入れない『明日をつくる人々』でデビューしたとされている。

だが、本当は1941年に、東宝の航空教育資料製作所で、三菱重工の金で作った航空戦果シリーズの1本『大いなる翼』で監督デビューしている。 

因みに、この映画のカメラマンの仲沢半次郎も航空教育資料製作所で「軍事マニュアル映画」を作っていたカメラマンだった。

彼らは、戦後は不要部門の職員となってしまい、大量の首切りが東宝から通告され、それが東宝ストになる。

1948年8月の「来なかったのは軍艦だけ」と言われるスト解除、さらに争議妥結後は、独立プロ等を経由して、仲沢、関川らは東映に入る。

それについて詳しくは、今度私が出した黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』 (現代企画室)に書きましたので、ご参照ください。

この霞ヶ関ビルの場所は、戦前は華族会館等があったところで、華族会館は今は霞ヶ関ビルの中に入っているようだ。

チャンネルNECO

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