「松本先生も大変だったんだな」と思う


映画アーカイブの追悼特集で松本俊夫作品を3本見る。

最初の『西陣』は、非常に良く出来た作品できわめてオーソドックスだが、これは監督の松本というよりも、撮影の宮島義勇のものではないかと思えて来る。
これは、京都の日本共産党系の団体によって作られたもので、当時は松本も、宮島も党員だったはずだが、共産党の映画理論とは異なる作風であるのは興味深く、二人は後に共産党を離れることになる。

次は、『気 KI or BRETHING』で、非常に困った前衛的映画で、確実に3人は寝られていて、鼾が響いていた。
これは海外での展覧会用に作ったものだそうで、筋もテーマも明確でないので、きわめて分かりにくかった。音楽は武満徹。

最後は、『コミュニティ・ライフ』で、三島に作る別荘マンションのPR映画。
こんな物を松本先生が作っていたのかというものだが、三島にできる、パサディナタウンを紹介する作品。
大変に理論的で明快に語られているが、逆に本当ですかと思えて来る。
1972年の映画で、松本俊夫先生も、生活のためだろうか、苦手と思われる企業PR映画を作ったのだろうか。
さらに、不思議なのは、製作は理研映画社となっていることで、これは戦後は松本もいたことのある新理研映画社に変わっていたはずだが、どこかに存在していたのだろうか。
国立映画アーカイブ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする