「札打ち」は、手本引きの元だろう

毎月1回、カルチャーセンターで香道を習っていて、約1年が過ぎたが、先週初めて「札打ち」をやった。

通常の香道では、組香と言って、複数のお香、まず3つくらいのお香を聞きそれを憶える。

その後、ランダムにお香を回して来て、その順のお香を当てるというもので、大体は季節の和歌に因んだ組香名がついている。

だが、こうした組香は、歴史的には後からできたもので、本来の香道は、香りを当てることを闘い、賭け事にする「札打ち」だったそうだ。

その歴史は非常に古く、室町時代には、京都で賭けの札打ちが非常に流行ったので、禁止されたこともあるそうだ。

その後、賭け事からより文化的な意義を見出したのが、組香で、現在に伝わる香道であるようだ。

札打ちは、1と2の2種類のお香があり、それぞれ3回づつまわってくる。さらに客という第三のお香があり、これはどこかで1回だけ出てくる。

これが面白いのは、お香が回ってきたら、袱紗に隠していた1、2、客の書いてある札をすぐその場で、回ってきた箱に入れなければならないこと。

組香では、全部が回ってきた後に、紙にその名をかくので、色々と考えてから結論を出すことができる。

だが、つまり札名をやり変えることはできず、一度札を入れたら、それで終わりなことである。

このやり方、1960年代の日本のヤクザ映画の中で膨大に見させられた花札の「手本引き」にたいへん良く似ていると思う。

江波杏子が無数に繰り返した「入ります」の手本引きである。

多分、この手本引きが日本映画に最初に登場したのは、篠田正浩監督の1964年の映画『乾いた花』だったと思う。

ここで横浜の旅館で行われる秘密賭博のシーンで、本物の花札賭博の実技を見た。

「どっちも、どっちも、先コマ、先コマ、後コマ、後コマ、どっちもどっちも」の賭場の低い声の異常な迫力に驚いたのである。

さらに、加賀まり子に教える形で、私たちは初めて「手本引き」の実技をニヒルなヤクザの池部良から見せられたのである。

大変に反社会的な映画であり、松竹の城戸四郎は怒って、完成しても1年間公開させなかった。

だが、篠田をはじめ原作の石原慎太郎らが、上映運動を起こし、やっと公開されると大ヒットになった。

城戸四郎が、公開に反対したのは、「ヤクザ映画を作ると勲章がもらえない」との噂を信じたためで、『乾いた花』も、にんじんくらぶの製作だった。

安藤昇主演のヤクザ映画も大ヒットを続けたが、すべて松竹ではなく、実際は大船で撮影したのに独立プロの製作になっているのも、そのためである。

恐らく、花札よりもお香の方が歴史的には古いので、この香道の「札打ち」が花札賭博のやりかたにも影響したのだと私は思う。

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