『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』(現代企画室)は、高評価の書評から、趣旨は評価するものの、証拠がないとのご批判も受けた。
その中で、現代企画室気付けで、神戸在住の古山敏幸さんから疑問と批判を含めたお手紙をいただいた。
古山さんと言っても、まったくの面識はない。
2008年に出された『黒澤明の作劇術』(フィルムアート社)の著者として知っているだけであり、いわゆる黒澤本の中では一番優れたものだと私は思う。
疑問については、いずれ回答するが中で、黒澤明の兄で、映画説明者須田貞明だった黒澤丙午が梅毒で、数度赤ん坊が流産したことが書かれていた。
どこかで読んだことだったが、あらためて読んで、「あれっ」と思った。
梅毒と言えば、1949年の問題作の『静かなる決闘』である。
『静かなる決闘』は、東宝ストの後、黒澤明が東宝を離れて撮った作品で、戦地で手術中の事故で梅毒に罹った医師三船敏郎の苦悩を描く作品である。
三船に梅毒を感染させる犯人は植村謙二郎で、彼は戦後も自堕落で放蕩無頼の生活をおくり、梅毒治療をしていない。
梅毒を婚約者の三條美紀に言い出せず、そのまま別れてしまう三船の苦悩は大げさであり、なぜ言わないのか不明との批判が公開時からあった。
それに対して、私は、この真実を言い出せない三船の苦悩は、戦争に行かなかった黒澤明の贖罪、言い訳ではないか、との解釈を初めて書いた。
そのことは恐らく間違いないと思われ、この説を変える気は全くない。
だが、この三船と植村の対立構造を考えると、これは共に梅毒に罹った男の問題であり、これは兄黒澤丙午のことではないかと思った。
梅毒治療をせず、妻中北千枝子は奇形児らしい子を産んでしまい、それを見て発狂してしまう植村謙二郎は、実際に愛人と心中した兄のことである。
そして、梅毒をきちんと治療し、元ダンサーで看護婦の千石規子と結ばれることを示唆されている三船敏郎は、そうあって欲しかった兄である。
つまり、あの映画は、黒澤明にとって、愛人と27歳で突然に心中死してしまった兄黒澤丙午を追悼する意味もあった作品だったと思われる。
だからこそ、最後の方の三船と千石規子との二人芝居の撮影の時、黒澤明は演技を見ながら振るえてしまったと自伝で告白している。
そして、黒澤明は、前作『酔いどれ天使』以降『赤ひげ』まで、『生きる』以外の総ての作品で、三船敏郎を主演として使うことになる。
これは、三船敏郎の中に、兄黒澤丙午の面影を見出したからではないだろうかと思う。
数枚残されている須田貞明は長身で鼻が高くなかなかの二枚目で、三船敏郎の若き日の姿に大変よく似ている。
また、三船敏郎は、『酔いどれ天使』のヤクザのような野性的な男と共に、『静かなる決闘』の医師のようなインテリも演じられる役の広い俳優だった。
この二重性は、黒澤丙午の性格の複雑性でもあったはずだ。
須田貞明についての証言は、徳川無声は「ネガ」、暗い人間だと言っているが、山野一郎は「陽気なドンファンだった」と書いている。
また、彼は関東大震災の翌日に、被災地へ弟黒澤明を連れ出し、「よく見ろ」というような、冷静で皮肉な面を持つ男で、非常に複雑な性格だったと思う。
いずれにせよ、戦後の黒澤明映画には、非業の死をとげてしまった、黒澤明自身が一番尊敬していた兄への想いが重なっていたのだと思われる。