2年前に亡くなられた中村とうようさんの3回忌として、イベント「とうようズ・ディ」が行われた。
会場が、六本木新世界というので、どこかと思うと、昔の自由劇場なのである。
ここでは、言うまでもなく『上海バンスキング』などを見たが、実は私も自作の戯曲を大学時代の仲間の演出で公演したた時、ステージにも立ったのだ。
楽屋でメークをしているとき、ある女性は、
「ここで小川真由美さんがメークをしたのね」と佐藤信の『鼡小僧次郎吉』を見たときのことを興奮して思い出していた。
当日は「ミュージック・マガジン」の元編集部の大鷹俊一さんの司会、二人づつの対談形式で行われたが、その前にサンディーによるハワイの祈り。
山内勇喜さんのギターの伴奏で。
最初は、湯川れい子さんと元ポリドールレコード社長の折田育造さんによる、『ミュージック・マガジン』以前の中村とうようさんのこと。
折田さん曰くの「貴族趣味」のとうようさんがおかしい。
意外にもとうようさんは、貴族趣味で、自宅に高価なビスク・ドールや多くの骨董品をコレクションされていた。
次は、マガジン時代で、北中正和さんと小倉エージさん。
最後、ワールド・ミュージック時代は、ウルトラ・コレクターの深沢美樹さんと中村とうよう事務所の初代秘書でもあった音楽評論家の関谷元子さん。
全体の進行は、結局は中村とうようさんの一番弟子だった田中勝則さんで、「大変ご苦労様」でしたが、とても楽しい一夜でした。
また、とうようさんのラジオ、テレビの番組が流されたが、マガジン社内で録音され、FM東京で放送されていたという「ミッドナイト・マガジン」が最高だった。
アメリカのマイナーなフォークシンガー、ライドンウエインライト3世を紹介し、その番組の中で、
「もし、歌の中の歌詞の意味がわからないから、その曲が理解できないとすれば、あなたは音痴だ!」と断言していた。
この文句は、中村とうようさんが昔、テクニクス銀座やっていた「レコード寄席」で、まだ馴染みのなかったアフリカやカリブ海の曲を紹介するとき、
いつも言っていた言葉だったことを思い出した。
やはり、中村とうようはすごい人だった。
あらためてご冥福をお祈りした。