東京五輪に反対のもう一つの理由

さきに2020年の東京五輪には、動機が不純だから反対だと書いた。

反対理由はもう一つあり、これが日本を再び鉄とコンクリートのゼネコン国家にしてしまうことになるからである。

五輪開催で、施設建設費などの需要が増えるだろうと言われている。

景気が良くなるのは結構だが、その中身、方向性は明らかに時代に逆行している。

2001年の小泉内閣から、民主党時代を含めたこの12年間は、今はもう鉄とコンクリートの国づくりの時代ではなく、高齢化を踏まえた人間への政策の変更だったと思う。

それをまた鉄とコンクリートのゼネコン国家にしてしまうのは、根本的に時代錯誤だと思う。

福祉、医療、教育、文化、芸術などいくらでも内需を拡大し、今後の国づくりの方向性となる施策はあると思う。

例えば、鉄道の駅や道路の歩道橋をバリアフリー化し、エレベーター、エスカレーターを作ることは大きな意味があり、それだけでも莫大な需要になるはずだ。

こういう土木建築なら大いにすべきだと思うが、今時大規模施設が必要なのだろうかと思う。

たった2週間しか使わない新国立競技場に多額の改築費用を国や都が出すなど、実に馬鹿げたことである。

国と東京都は、本当にお金持ちなんだなと思うしかない。

だが、結局日本では国づくりは、ゼネコンと電通にしか担わせられないのだろうか。

大いに疑問であると私は思うのだが。

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