『ムサシ・ロンドンバージョン』

慶長17年の巌流島での宮本武蔵(藤原竜也)と佐々木小次郎(溝端淳平)の決闘から6年後、鎌倉の禅寺の開寺の坐禅が始められている。武蔵の他、柳生宗矩(吉田剛太郎)、沢庵和尚(六平直政)、さらに寺の後援者の白石加代子や鈴木杏らが参加しているが、死んだはずの小次郎が現れる。                  

彼は、決闘の後、細川家の手厚い治療を得て回復し、再度自らの剣を鍛えて、武蔵への復讐をとげるためにやってきたのである。

座禅は3日間なので、その翌日に二人は、再び源氏山での決闘を約束する。

坐禅の中で、武蔵や小次郎の過去が語られ、またかつて白拍子だった白石の遍歴も明かされる。

宮川彩良の音楽は、邦楽、オーケーストラ、タンゴ等を多様に使っている。

二日目の夜中、急に湧いてきた闘志の高まりの中で、二人は対決するが、何かが二人の戦いをさえぎる。

「これは一体なんだ、何者の力だ」と自問する二人。

そこに現れたのは、白装束の死者たち。

                                                 

柳生、沢庵、白石らの総ては実は、様々な経緯で死に至った死者たちであり、彼らの呪い、力は、武蔵、小次郎の二人をして戦いを諦めさせる。

さらに、柳生は、徳川幕府における武士の本文を戦いをせず、剣を取らないことに定める。

最後、全員の挨拶の上に井上ひさしの写真が下りてくる。

ここまで来れば、作者井上ひさしの意図は明らかだろう。

太平洋戦争の多大な犠牲への真摯な反省から作られた、日本国憲法第九条の「平和憲法を守れ」との願いである。

戦いや復讐の連鎖を続けていくことの無意味さ、虚しさが説得力を持って描かれる。

見て面白いとか、良かった、感動したという芝居はいくらでもあるだろう。

だが、この芝居は、見たことが意義のあった芝居というべきだろう。

ぜひ、バラク・オバマ大統領に見てもらいたい劇である。 

演出は、もちろん劇場の芸術監督の蜷川幸雄。

帰りにプログラムを買おうと思うが、なんと1,600円、いくらなんでも高いので買わずに、北浦和駅近くの店で飲んでもどる。

さいたま芸術劇場

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする