文芸春秋11月号に載っていた『三船敏郎の栄光と、その破滅』を読む。
渾身のノンフィクションと言うにはやや底が浅い気がするが、三船の晩年の姿をきちんと描いているのは大変に貴重である。
三船プロの盛衰、特にプロの片腕だった田中寿一が独立、分裂して以降の下降の中で、三船は、家庭の騒動もあり、心身共に老いて言ったようだ。
そして、平成に入り、認知症状態になったとのこと。
その中で、愛人喜多川美佳と別れ、元妻だった幸子と再会する。
この間の妻、そして愛人との離婚騒動は、テレビ、週刊誌のスキャンダルになったが、ほとんどは事実だったようだ。
だが、ここでも分かるのは、三船がいかに真面目で、誠実で、しかし大変に不器用な人間だったかと言うことである。
彼には、適当に人間関係を処理してうまく立ち回る、と言うことがまったくできない人間だったようだ。
彼の最初で最後の監督作品、1963年の『五十万人の遺産』での、鉛筆会社の課長で、事務員林美智子が書損じの紙を捨てると、それを伸ばして使うという小心で異常なほどに真面目な中年男は、まさに三船敏郎の実像だったわけである。
遺作で、奥田英二と秋吉久美子が、色ごとではなく、信仰の問題に悩むと言う珍作『深い河』の三船敏郎の姿には驚いたが、ほとんど誰のことも分からない完璧な認知症だったらしい。
とはいえ、『酔いどれ天使』以降の黒澤明作品は、三船敏郎を抜きに語ることはできない。
それは、私は三船敏郎のルックスが、黒澤の兄で、愛人と心中してしまう須田貞明こと黒澤丙午の面影に似ていたからではないかとこのところは思っている。
特に、三船が主演した1949年の『静かなる決闘』での、梅毒で子供を死産させ自らも発狂してしまう中田という男は、実際に死んだ兄のことで、
対して梅毒に戦い、性欲の誘惑に打勝ち、清く正しく生きていこうとする医師の三船は、黒澤明にとって、そうあって欲しかった兄、兄の理想の姿ではなかったかと思うのである。
ともかく、三船敏郎の存在によって黒澤明の想像力が大いに書きたてられたことは間違いなく、そのことだけをとっても、三船は偉大である。