新文芸座の小沢昭一の1周忌特集、ほとんど見ているので、見ていないもの2本を見に行く。
1963年の日活映画『サムライの子』は、前妻と娘を紋別に置いて逃げた小沢が、以後育てていた祖母が死んだので、娘ユミ(田中鈴子)を引取りに来るところから始まる。
小樽の市営住宅と聞き、ユミは高層アパートだと思い込んで小樽市に来るが、そこは木造の掘っ立て小屋のような集落で、元は軍隊の兵舎を戦後小樽市役所が極貧家庭に貸しているもの。
住民はサムライと呼ばれ、仕事はバタ屋、今の言葉で言えばリサイクル業で、町を歩いて金目の物を拾っい、それを寄場で売って金を得る連中。
だが、不要なゴミを買ったり、拾ったりして来るので、一応生業であることに彼らは誇りを持っている。
実際の場所で撮影したらしく、小高い丘に建っているマッチ箱のように、おし潰されたような木造住宅の密集はすごい。
まさに最貧困の住宅だが、当時まだ小樽市にあったことに驚く。
小沢昭一の妻は南田洋子で、少々頭が弱く、ものの計算ができない。
他の住民は、大森義夫、鶴丸睦彦など、劇団民藝の役者、さらに色っぽくて、小沢が手を出す後家もやはり青年座の東恵美子である。
だが、途中で「野武士が来るぞ!」と大騒ぎになる。
野武士とは、『七人の侍』の野伏せりではなく、町にいる浮浪者、泥棒の類である。
彼らにはサムライ部落の連中は、大変な敵意を持っていて、すぐに喧嘩になる。
下には下があったということがすごいが、この辺は原作の山中恒だろうが、なんといっても脚本の今村昌平のセンスである。
映画『人類学入門・エロ事師たち』の時の小沢昭一と今村昌平
ユミは小学校で、いろいろな事に遭遇するが、その度に人間として向上していくところが作品の中心である。
今村作品としては、彼が監督した九州の炭鉱を舞台にした『にあんちゃん』の延長線上だが、ここで問題とされているのは、主人公のユミが、サムライ部落の子であることを同級生に言えるかである。
野武士の連中の娘・みよしは、旭川の親戚の三崎千恵子に引き取られていくが、ユミは「サムライ部落の子」であることを同級生に言う。
と彼は「うちだって同じようなものだ」と答える。
日本がまだ高度成長以前で、等しく貧困だった時代の映画である。
近所の医者の家の高校生として田代みどり、集落に住み、港湾労働者として働いている浜田光夫の恋人が松尾嘉代で、これまた色っぽい。
監督は民芸の若杉光夫だが、全体として見れば若杉映画というよりは、今村昌平作品と言えるだろう。
渡辺宙明の音楽も抒情的で良い。
併映の1961年の『お父さんは大学生』も、小沢昭一と南田洋子のコンビで、小沢は大学のクラブの奇術に身を入れすぎて留年をしている大学8年生、南田は男の子のこぶ付きのコーセー化粧品のセールス・レディ。
二人がやはり上手くて、さらに左卜全や清川虹子らも出てくるので、非常に面白い。
小沢昭一は、この時すでに32歳で、角帽をかぶって大学生を演じるのは笑えるが、インチキ大学生姿が彼ほど似合う役者はいない。
この前の中平康作品の『あいつと私』でも、石原裕次郎と同級生を演じていたが、少しもおかしくなかったのだから。
監督は大映からのベテラン吉村廉で、たった1時間の映画なのに、3人の名が脚本に載っている。それだけ丁寧に作っていたことの証拠。
どちらも、日本映画が2本立てだった時代、大量生産の中の添物映画だが、その中で多くの中・短編作品が作られていた。
それによって作品の傾向は多様化し、また多くのスタッフ、キャストは仕事で鍛えられることができたのである。
新文芸坐