1959年、全盛期の東宝が作った大作、脚本は八住利雄と菊島隆三、監督は稲垣浩。
出演は三船敏郎、鶴田浩二、平田昭彦、宝田明、原節子、乙羽信子、司葉子、香川京子ら東宝のスターの他、中村鴈治郎、東野英治郎、田中絹代までがいる。
話は『古事記』だが、主に日本武尊の三船が、九州の熊襲退治から東北の戎夷征伐に行き、最後は東野英治郎の大伴氏の奸計によって死ぬまでを描く。
と書くと重苦しい映画のように思えるだろうが、実に楽しく面白い作品なのだ。
諸処に出てくる舞踊の場面が面白くて、音楽はもちろん伊福部昭の、勇壮で豪快な「伊福部節」が奏でられ、男女が踊り跳ねる。
原節子の天照大御神が「天の岩戸」にお隠れになってしまった時の、高天原の会議では、小林桂樹、三木のり平、有島一郎、柳家金語楼、エノケンらが総出演。
原節子を出すための大騒ぎの舞踏、日本歴史上最初のストリップと言われるアメノウズメノミコトの踊りは誰かと思うと、なんと乙羽信子。結構うまい踊りなのであるのはさすが宝塚。
特に、富士の麓の田崎潤が治めている相模の国の舞踊シーンは、伊福部先生得意のアイヌ音楽による舞踊で、これまた見もの。
熊襲の好戦的な兄が志村喬で、この映画最大の悪役。
もちろん、円谷英二の特撮もあり、八岐大蛇のところでは、娘の母は中北千枝子だが、父親は私が大好きな相良久。
全体として極めて反戦的な趣旨で、日本武尊が鶴田浩二から言われ、次第に好戦主義から平和主義、話し合いによる平定に向かうのが興味深い。
三船と鶴田というと、『柳生武芸帳』や『宮本武蔵』での二人を思い出すが、この時、部下の兵隊は、することがなくて面白くないなと不平を言う。軍隊というものはそうしたものだろう。
日本武尊の手下で、出世主義者が上田吉二郎で、彼の裏切りで、三船たちは東野英治郎の軍に待ち伏せされて負けて、三船は死んで、白い鳥になる。
だが、ここで見られる戦争は、実は太平洋戦争のことであり、三船以下全てのスタッフ、キャストにとって戦争はつい最近のことだった。
さらに興味深いことに、監督の稲垣浩は戦争に行っていないのである。
理由は明確で、彼は150センチそこそこの身長で、陸海軍の徴兵基準の155センチ以下だったから徴兵されなかったのである。
だが、そうした稲垣にも戦争への複雑な思いはあったと思われ、この作品や同時期の『ある剣豪の生涯』にも流れているように私は思う。
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コメント
相良久と書きましたが、大久保正信の間違いでした。どうぞよろしく。