先日、画家高山良策が、東宝の航空資料製作所にいたことを書いたが、その頃には、戦後は前衛画家となる山下菊二もいた。
さらに東宝の前身であるPCLについて言えば、日本のシュールレアリズムの指導者というべき滝口修造もいて、企画や編集をしていたらしい。
その他、劇作家の三好十郎、田中千禾夫と言ったところも短期間だが、籍を置き、企画や脚本の仕事をしていたそうだ。
いずれにしても、PCL,東宝は新興勢力だったので、いろんなところから才能を集めたのだと言える。
島津安二郎や成瀬三喜男は松竹から、山中貞雄、山田五十鈴、原節子や志村喬らは日活からスカウトされた。
それに対して、松竹、日活などの既存の映画会社には大変な脅威で、東宝に対しては様々な圧力をかけた。
その最大のものが、林長二郎への襲撃事件で、彼は左頬を剃刀で切られ、その傷跡は死ぬまで残った。
この事件の後、彼は本名の長谷川一夫に改名して、さらに人気を得ることになる。