同じく土曜日のためにCDを聞いていたが、この『マイルス・イン・トキョー』は、有名なLPで、昔ジャズ喫茶に行くと一日1回くらいは掛かったものである。
そして、そのLPの録音は、1964年7月14日火曜日だった。この時、当時高校2年生の私は友人と共に厚生年金会館ホールにいたのである。
ところが、2年前に必要があって、このCDを買ったが、これはLP未収録盤のCDだったのである。
この2枚組CDの東京のは、7月11日土曜日の日比谷野音でのものと、2枚目は、7月15日の京都丸山音楽堂でのものだった。
これで気が付いたのは、マイルスらは、来日してはじめ東京の日比谷野音でやり、その後一度関西に行った後、再度東京に戻ってきて新宿の厚生年金会館ホールでやり、再び京都の行くというスケジュールだったことだ。
というのも、このCDの解説には7月13日は大阪でコンサートをやったと書いてあるからである。
もっとも、この時のマイルスらの新宿厚生年金会館ホールでの公演は、「世界ジャズ・フェステイバル」での出演だった。
これにはマイルス・ディビス・クインテットの他、ウィントン・ケリー・トリオ、カーメン・マックレー、スイング・ジャズのエドモンド・ホールらも出たのである。
だから、7月11日の日比谷野音のマイルスの公演は単独公演で、多分大阪で全員が集合し、その後東京で全員のフェステイバルをやったのだと思う。
どうしてこのように複雑な日程だったのか、よくわからないが、多分当時はコンサーート会場が少なかったのも理由の一つだと思う。
それともマイルスたちに、新幹線に乗らせたかったのだろうかと思ったが、7月はまだ新幹線は開通していないのだから、日程の都合なのだろう。