レイ・チャールスの伝記映画、戦後のアメリカのポピュラー音楽史としてもとてもよく出来ていて、大変感心した。
レイ・チャールスの曲は、大嫌いだった。最初、小学校高学年で,『ウァット・アイ・セイ』を聞いたとき、とても不愉快な気がした。
多分、この作品の中で、再三キリスト教信仰の厚い人から言われる「神を冒涜している」に似た嫌な感じだったと思う。
だから、その後『愛さずにはいられない アイ・キャン・ストップ・ラビング・ユー』が日本でも大ヒットになったときは、本当に嫌な気分になり、「早く他の曲が1位になれ」と思ったほどだ。
だが、大学生の時には、彼のベスト盤のLPを買っているのだから、どこかでファンに転換したのだろう。
彼は、言うまでもなくゴスペル、R&B、そしてカントリーを融合させ、ソウル・ミュージックを作った歌手の一人である。
こうした黒人、白人音楽の融合は、彼が育ったジョージア州の地域性によるものである。
アメリカの東部や南部では、黒人音楽と白人音楽(特にアイルランドやスコットランド音楽)が自然に混淆していた。
だから意外にも思えるだろうが、ハンク・ウィリアムスの「泣き唄法」に見られるように、カントリーにも黒人音楽が大きく影響している。
因みに、「ビルボード」のランキングで、総合チャート、黒人チャート、カントリー・チャートのそれぞれに同一曲が入ったのは、確かレイ・チャールスとプレスリーとビートルズだけだと思う。
また、ここで描かれるアメリカの音楽業界の内幕もとても興味深い。
デビュー以前のブルース・バンドでの黒人クラブ廻り。
そこでの悪辣な女とグルの男による、色仕掛けの搾取。
アトランティック・レコードでの成功と大物になってからのABCレコードへの移籍の経緯も面白い。
アトランテックは、二人の白人青年が始めたレコード会社で、当時では極めて珍しく、黒人音楽を黒人専用レーベル(レース・レコード)ではなく、普通の白人向けのレコードとして制作・販売し、大成功する。
だが、彼らはそれを後に大手に簡単に売却し、創業者利益を得て、引退してしまう。
近年、日本でも騒がれる所謂「起業」の典型である。
だから、レイのABCパラマウント・レコードへの移籍もあっさりと了承する。
レイの女性関係、麻薬、周囲との金をめぐる争い、あるいは人種差別への反対もきちんと描いている。
1960年代後半のワールド・ツアーでは、昔有楽町にあった森永の地球儀とエンゼルの広告で、日本公演が表現されるのは、面白かった。