これも小津作品だろう 『月は上がりぬ』

田中絹代が日活で監督した作品で、小津安二郎と斎藤良輔の共同脚本だが、きわめて小津色が強い。
2009年に初めて見た時、私は以下のように書いた。

小津安二郎が、田中絹代監督のために書いた脚本など不愉快だったので、見ていなかったが、今回初めて見るとなかなか興味深い作品だった。
小津の作品歴で言えば、『東京物語』と『早春』の間で、この次が問題作『東京暮色』である。
この『東京暮色』の失敗で、小津は同時代、若い世代を描くのをやめ、『彼岸花』でまた元の世界に戻ってしまう。『東京暮色』は、批評家の評判も悪かったが、何より当たらなかったらしい。

話は、奈良に住む笠智衆と三人娘、山根寿子、杉葉子、北原三枝の話で、ここでも笠の妻はなくなっていて、長女山根も夫を病気で失っている。
そこに、失業して笠の家の近くの寺に間借りしている安井昌二のところに、友人の無線技師の三島耕が仕事で来たと遊びに来る。
笠は、戦前は東京の麹町にいて、鵠沼にも別荘を持っていて、そこに学生の三島、安井らがサロンのように来ていた。
北原三枝は、その頃の華やかな生活を思い出し、何とか東京に行きたいと願っている。
この辺は、微妙なところで、戦前の小津安二郎映画が、モダン都市東京を舞台としたモダニズムであったことを想起させる。
だが、笠は、そうしたモダニズムには今は興味を失い、奈良、そして関西の伝統的風土に引かれている。
北原三枝は、三島耕と杉葉子の間を取りまとめようと様々に画策するのが、映画の中心であり、電報をやり取りするあたりが、いかにも古風であるが、二人は無事結ばれる。
近代性を求め、モダニズムの象徴だった北原も、今度は自分と安井昌二のこととなると、途端に本心が言えず、もたもたするが、最後はこのカップルも結ばれて東京に行く。

さて、この北原三枝の性格だが、なかなか上手く彼女を捉えている。
小津のシナリオは、ほとんど役者へのあて書きなことがよく分かった。
先端的に見えて、実は保守的なところもある北原三枝の資質によくあった役になっている。
そう考えると、『早春』の性的に放縦な岸恵子、そして問題の『東京暮色』の自殺してしまう有馬稲子など、実に上手く役者の本質を突いてシナリオを書いているものだと改めて感心した。
有馬は、当時の日本の女優の中で最も危険な進んだ存在だったのだろう、小津は有馬を無情にも殺してしまう。
まるで、夫の笠智衆を捨てて、別の男に走った山田五十鈴に象徴される戦前の日本のモダニズムと性的不道徳が、戦後社会の混乱の根源だと言うように。

今回見直してみると、これは戦前の『戸田家の兄妹』の続編であり、失われた戦前の東京への挽歌だろうと思った。
昭和18年から東京麹町から奈良に引きこもって来た笠智衆は、3人の娘、山根壽子、杉葉子、北原三枝と暮らしている。
そして、明らかに未亡人の山根壽子と独身の杉葉子は、『東京物語』の原節子に当たると言える。
戦前に笠の家で、死んだ息子の友人の一人として鵠沼の別荘に来ていた三島耕が山根の夫の弟安井昌二のところにやって来て、杉葉子と再会する。
安井も、奈良の近くの寺で逼塞していたのである。彼や友人の増田順二は、語学の達人らしいが、戦後の波に乗れず失業している。
この没落したインテリは、『東京暮色』の原節子の夫の信欣三になると思う。
この杉葉子と三島耕を一緒にさせようと北原三枝と安井昌二が奔走するのが筋の中心である。
その手先になるのが、女中の田中絹代と小田切みきで、戦前も恋の仲介者には、女中や書生が使われたものである。
『源氏物語』で言えば、小者の惟光であり、こういう人間がいなくなった現代は恋路の成立が難しいものとなる。
さて、小津はここでも、男女の関係は本人たちよりも周囲の人間の力が必要だと言っていて、それは大変に正しいと思う。
要は、おせっかいおばさんが必要なのである。

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