浜田光夫の初出演作品としてしか意味はないだろうが、製作の形態を考えるとかなり興味深い。
製作は、民芸映画社の大塚和と富士映画社の山梨稔になっている。
大塚は、日活さらにフリーで名作を多数作ったプロデューサーだが、山梨は新東宝最後の社長であり、この頃は、富士映画社の責任者だったのだろう。
富士映画社は、戦前は東京発声映画スタジオで、東宝グループに統合されてからは、東宝第二撮影所で、大蔵貢の手で富士映画にされていた。
そこで、推測すれば民芸が俳優や旧左翼独立プロ系のスタッフを出し、富士映画がスタジオを提供して作り、日活で公開したのがこの映画なのだろう。
原作は、上司小剣で、夏休みの子供たちのことを描くものである。
上司は、実家が神社だったそうだが、主人公の浜田光夫(光曠)の父の小沢栄太郎(栄)は、由緒ある神社の神主だが、ひどい貧乏世帯。
母の山田五十鈴は、やさしいく「立派な神職になれ」としか言わないが、父は戦後の神社の地位の没落のことで手が一杯で、浜田のことなど無関心。
父親代わりのように、浜田や子供のことを心配して親身につくすのは、先生の内藤武敏。
彼は東大卒なのに小学教師で、板敷の橋を土建屋で県会議員の嵯峨善兵衛が渡っていた時、内藤担任の子供たちが彼にいたずらして川に落としてしまう。
すると嵯峨は怒り狂って、「あいつは赤だ、首にしろ!」と市長や教育委員などを脅す。
この辺は、レッドパージで大映をクビになった若杉光夫の、大映社長永田雅一への思いが込められているようにも見える。
もちろん、クビにはならないが、心臓病で大阪の病院に入院した山田は、病院には長くいられないとして勝手に退院してしまう。
多分、神職には健康保険がなかったためで、国民皆保険の国民健康保険ができるのは、1960年代である。
そして、山田は死んでしまう。
最後は、対立していた村の子供たちも仲直りし、浜田光夫は強い子になってハッピーエンド。
多分、児童映画として、学校、地域等でも上映されたのだろう、当時はそうした公共上映が多かったのである。
チャンネルNECO