衛生劇場のサイレント特集で小津安二郎の『和製喧嘩友達』の解説で、大林宜彦が、その特徴を
「偉ばっている偉い人ではなく、庶民を描いているところ」と言っていたが、これは小津安二郎のみならず松竹の指導者城戸四郎のものでもあった。
戦前の日本の社会は、完璧な階級社会で、天皇以下、皇族、華族、その他富豪、高級官僚、軍人などのヒエラルキーがあり、彼らがえばっていた。
だが、松竹にはそうした連中はほとんど出てこない。市井の名もない人ばかりである。
城戸四郎は、上野の精養軒の息子だったが、フェビアンニストで、「社会は斬新的にだが、改良されるべきだ」と考えていた。
一部上場企業・松竹の取締役であったが、自分は金持ちという意識はまったくなく、海外出張の際もファーストクラスやビジネスは使わず、エコノミーだったので、随行者は大変だったそうだ。
要は、江戸っ子気質で、「おれたちゃ、そんなに偉い人間じゃない」との意識で、落語の長屋のはっさん、熊さんが、二本刺しの武士をバカにするのと同じである。
山田洋次によれば、城戸四郎は落語家がよく言う「マジ」と言うことが非常に嫌いで、いつも軽薄に茶化していたが、そこには東京人の含羞があったと言うのだ。
城戸は、小津安二郎の映画を見ると、「また女の股座を覗くアングルの映画か」と言ったそうだが、これなど典型的な照れだろう。
小津安二郎も、映画『晩春』の後、上流の社会を描くようになったと言われているが、そこにも大富豪や偉い人は一切出てこない点では、小津は変わっていないと私は思う。